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「狩りの思考法」
探検家・ノンフィクション作家、角幡唯介さんの最新刊「狩りの思考法」(アサヒグループホールディングス)を読み終えました。
1年間のうち約半分を北極圏グリーンランドのイヌイット集落シオラパルクに「単身赴任」し、犬ぞりで移動しながら狩猟で食料を調達するという行動原理を、角幡さんは計画性のある探検ではなく「漂泊」と表現しています。
本書は狩猟民イヌイットと同様に「漂泊」を行動原理とすることにより、体感した狩猟民の世界観、思考法を活字化したエッセイです。
その象徴的な現地の言葉が「ナルホイヤ」。これは「未来はわからないのだから計画にとらわれず、目前の状況に集中しろ」という倫理観らしいのですが、日本語で最も近いニュアンスの言葉は、どうやら「知らんがな」といった半ば投げやりな感じになるようです。
イヌイットのこの投げやりとも言える態度については、古典的な名作ルポとして知られる本多勝一の「カナダ・エスキモー」の中でも言及されています。約60年前に出版されたこのルポの中では、その根源的な理由までは書かれていないのですが、角幡さんは自らの狩猟体験を通じて、一つの答えを導き出しました。ここが肝となるところでしょう。
言うまでもなく、人間は他の生命を奪って自らの食料としなければ、命を保てないわけですが、日常的にはそれを意識することはありません。それが農耕以前の狩猟という人間と自然との始原的な営みにまで立ち返ると体で実感することができる。逆に白熊や海象(セイウチ)からみれば、人間が「獲物」という立場に変わるわけです。明日は獲物をとっているかもしれないし、獲物になっているかもしれない。確かなことは「今」だけということです。
読んで感じたのは禅の真髄と言われる「当処 即今 自己」と通底する価値観なのでないか、ということです。もちろんイヌイットに禅文化があるわけではないでしょうが、人間の営みを始原にまで辿っていくと同じところに帰一していくということなのかもしれません。
角幡さんは野性の中に生きながらもハイデガーの「存在と時間」や井筒俊彦の「意識と本質」などの難解で抽象的な哲学書を読み込んでいる探検家です。これまで触れて来た哲学に「ナルホイヤ」の精神を照射してみたのではないでしょうか。本書の中では、そこまでは踏み込んでいませんが、気になるところです。
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