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「天路の旅人」

 沢木耕太郎さんの9年ぶり長編ノンフィクション「天路の旅人」(新潮社)を読み終えました。
 第2次世界大戦末期、敵国だった中国の西域に潜入した密偵、西川一三の足取りを追った大作。ラマ僧に扮して、内モンゴルから寧夏、青海省を経てチベットへ。インドで拘束されるまでの8年の旅を描いています。
 沢木さんには、26歳の時、インドのデリーからロンドンまで乗り合いバスで行くことを思いつき、ユーラシア大陸を東から西へと進んだ旅を記録した「深夜特急」という傑作紀行文があります。学生時代にバックパッカーだった私にとっても旅のバイブルのような本でした。
 「天路の旅人」を読み進めながら、自然に思う浮かんできたのは、30年以上前に読んだ「深夜特急」です。沢木さんは、若き日の自身の旅と西川氏の旅をどこかで重ね合わせながら書き進めたのだと思います。沢木さんは生前の西川氏と面会を重ねる度に、時代が異なる他者の旅に共鳴し、この作品が生まれたのではないでしょうか。
 読み終えて感じるのは、西川氏の旅は、決して意図した方向には行かぬ人生そのものではないか、ということ。国益を期す使命感を持って密偵として敵国に潜入。戦争に負けたことすらも分からない環境から抜け出そうとも、抜け出すこともできず、ラマ僧として彷徨い続けた―。
 旅というのは、当初意図していたことから逸脱してこそ、旅なのであり、その旅人本人がその宿命を受け入れていくということなのではないか。「命の洗濯」となる本当の旅とは、こういうことなのかもしれません。
 気が付けば、私自身も久しく旅をしていません。そろそろ「命の洗濯」をしに行くできなのではないか。そんな思いにさせられた一冊でした。

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