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ニワトリ

週末は飛行機に乗って生まれ育った川崎に行った。

急行の止まらない駅は、閑散としていた。
タクシー乗り場にタクシーもいない。
私が東京に転居して10年、父が長野に移住してから8年、小雨がパラつく冬空のせいかどんよりとして朽ちていく街だと感じた。

川崎に来た理由は、かつて通っていた剣道教室が創立30年を迎えるということで、その祝賀会に出席するためだ。
剣道教室には小学生から会社員になる直前の24歳まで通っていた。生徒10人程度の小規模な教室で、小学生を中心に中高生と混ざって、週に一度のんびりと稽古をしていた。

声の記憶

10年も経っているので、会場に着いても知らない顔ばかりで場所を間違えたのではと思いを巡らすほどだった。

江戸っ子の先生に挨拶をしてもなかなかピンとこない。(江戸っ子はは行の発音が苦手)

そもそも稽古はどんなことをしていたのだろうか? 
稽古の前後にどんな会話をしていたのだろうか? 
覚えているような、覚えていないような、記憶は曖昧で解像度が低いことに、そのときはじめて気づいた。
いや、むしろ大枠しか覚えていない気がする。ゲームでセーブせずにリセットしてしまったような感覚がある。

「あら、あなたカイくんなの? 髪の毛くるくるだから葉加瀬太郎かと思ったわよ」

年配の女性から話しかけられると、その声で急に記憶が蘇ってきた。
教室に通っていた3人兄弟のお母さんで、剣道の日の夕食は毎週カレーだと楽しそうに話しているのを小学生の頃に聞いたことがある。

風貌は変わっていたり私が忘れていたりしても、名前や声を聞くと記憶が蘇ってくる。

隣に座った青年は教育実習で高校に行った時の生徒で、その隣はお母さんが駅前のコンビニで働いていて、私もそのコンビニでアルバイトをしていたので何度か一緒にレジを打ったことがある。

遅れて来たピアスだらけの中年は私の同級生で20歳くらいまでよく遊んでいた。お母さんが元記者で、ユニークな人だった。

そうして往時と近況を行き来しているうちに、記憶の解像度も高まってくる。あるいは、記憶違いが明らかになり更新されたりする。
それはとても楽しい時間だった。

上書き保存ではなく筋肉

記憶が曖昧だなと気づいた時に、思いあたったのは生活の変化だった。社会人になったときや福岡に移住したときなど、新しい生活や仕事のプロトコルに変化があるとそれ以前のことがいつの間にか置き換えられてしまったのだと思った。
それはパソコンでいえば上書き保存のようなものだ。

でも実際はそうではなく、しばらく思い出すことがなかったから記憶の奥にあり、なかなか表目に浮かび上がらなかったらしい。
記憶も筋肉のように使わないと細くなってしまうのかもしれない。

記憶の筋トレ

会の終わりに、先生から小学生の頃に書いた作文が手渡された。書いたことすら忘れていた。
10歳,13歳,19歳の頃に書いた作文だ。その時何を考えて何を書いたのか、下手な文字は教えてくれる。

剣道をやめて、地元を出て10年が経った。
地元に愛着もないし、共働きの両親に放っておかれて勝手に育ったように思っていて、川崎に行くことは面倒だと感じていた。なんでこんなところに住んでいたのか理解できないとさえ思っていた。

でもそれは、シンプルに忘れていただけのようだ。なんと薄情な。


会場に向かう前に、空き家となった実家に立ち寄った。
なにげなくクローゼットをみると、私が幼児の頃の育児ノートを見つけた。両親は毎日の出来事を小さな文字でぎっしりと記録していた。
三輪車は何度言っても逆方向にしか漕がず、長いことまともに乗れなかったらしい。
なんと要領の悪い。

私は葉加瀬太郎ではなくニワトリです。

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