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アメリカ:アメリカ最大の宗教壁画「Spirit of Healing/癒しの聖霊」‐癒しの天使‐の制作者ジェシー・トレビーニョ/Jesse Treviñoが死去

USA: Jesse Treviño - author of America's largest religious mural "Spirit of Healing" - has died

レビーニョの「Spirit of Healing」は、サンアントニオのサンタローザ小児病院の南側壁面に手作業でカットされたタイルで作られた9階建ての壁画

ニューヨーク・タイムズ紙は3月4日、2月13日に亡くなったジェシー・トレビーニョの包括的な追悼記事を掲載した。『Spirit of Healing/癒しの聖霊』と題された米国最大の宗教壁画の制作者である。記事には、色鮮やかで痛切に心に訴える、原画で28×13mもある作品の大きな写真も添えられている。画家の葬儀は、3月2日、午後2時、人生の大半を過ごしたアメリカのテキサス州、サンアントニオのSacred Heart Church(聖心教会)で執り行われた。

また、トレビーニョはこの街で壁画の大半を制作した。グアダルーペの聖母に対する崇敬の念は、彼のもう一つの作品、「グアダルーペ・アートセンター」の壁にある立体モザイク画『La・Veladora/ラ・ベラドーラ』‐「小さなろうそく」「守る」「夜の灯り」などの意味がある‐にも反映されている。また、この画家はロザリオの祈りを大切にしていたため、最期と葬儀の前夜には、地元の信者が教会で彼のためにロザリオを祈った。

1946年12月24日、ジェシー・トレビーニョはメキシコの都市モンテレイの貧しい家庭に生まれた。父親は建築資材を運ぶトラック運転手として働いていた。経済的な事情から、一家はテキサス州サンアントニオに移住することになった。小学校の頃から絵の才能に注目され、6歳の時にグラフィックデザインで一等賞を受賞する。その後、奨学金を得てNew York's Art Students League(ニューヨーク・アート・スチューデンツ・リーグ)で学ぶことになる。

そのわずか 1 年後にベトナム戦争が勃発し、メキシコ人であった彼は、徴兵を免れて帰国することができた。 しかし、彼の兄弟の例に従って、アメリカ市民権を得るために、彼は軍隊に入隊し、1966 年 12 月にはベトナムに送られ、翌年 2 月、戦闘中に重傷を負った。彼は最初に日本で治療を受け、次にサンアントニオで治療を受けた。しかし、その後の手術で右腕を失い、歩けるようになったのは1 年後だった。

元軍人であった彼は、サンアントニオで勉強を続けることができた。最初はOur Lady of the Lake Catholic University(OLLU・レイク大学)で、次に州立大学で修士号を取得した。その後まもなく、いわゆるフォトリアリズムを特徴とする画家としてのキャリアが始まった。例えば、母に捧げられた彼の作品を見ると、いくつかの写真が重なっているような印象を受ける。これに、フォトグラヴュール(グラビア印刷の写真)を超えた、いくつかの象徴が描き足されている。

数ある作品の中で最も有名なのは、前述の壁画『Spirit of Healing/癒しの聖霊』‐あるいは「癒しをもたらす」‐である。この絵は、天使が少年に贈り物をもたらす様子を描いたもので、光を放つ小さな鳩が、少年の胸に抱かれている。サンアントニオにある9階建てのカトリック小児病院の壁の一角を飾るもので、1997年に制作された、この種の宗教芸術作品としては米国最大のものである。15万枚以上のドイツ製タイルで構成されており、天候の変化に強い。ジェシー・トレビーニョは、いわゆるチカーノ/Chicano(メキシコ系アメリカ人)文化との結びつきを隠すことなく語っていた。晩年は重症の癌を患ったが、明るさを失わず、永遠の命への信念を表明した。ニューヨークの新聞社とのインタビューで、「私は、この世の人生というショーの終わりに、まさに、本当の芸術が始まる瞬間が来ると言いたい」と、彼は語った。

Fr. jj (KAI Tokyo) / San Antonio

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