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仕事を辞めてから1年が経過した。

タイトルの通り、仕事を辞めてから1年が経過した。

この1年でブログを書こうと思った事が数回あったが、いざ考えてみると特に書きたいこともなかったし、多くの人に見てもらいたいと欲をかき、思ってもいないことを書いてしまいそうな自分も嫌だった。
そもそも誰の目にも触れないであろう文章を書く理由が分からなかった。

とまあ自分の中で毎度理由を作っては書かなかった訳だが、最近奥歯を抜いたのをキッカケに、何となく感傷的というか、厭世的というか、ニヒリズムな考えが頭から離れなくなってしまい、書き出さずにはいられなくなった。
(調べたら「術後せん妄」といって、手術後に精神不安定になるようなことがあるそうだ。まあただ歯を抜いただけだが。)

特にこれといったテーマはないが、仕事を辞めたキッカケや、それからの1年について書いてみようと思う。自分の頭の整理として。

■仕事を辞めたキッカケ

大学を卒業し、縁あって30人規模くらいの小さなコンサルティング会社に入社した。
始めは仕事を通した成長とか、クライアントへの貢献とか、昇給や昇格など色々な期待はあった。

が・・・数年働き、僕は心身ともに疲弊していた。
明日の仕事のことを考えると涙がでそうなほど、苦しくなった。
こんな無間地獄が続く人生に意味などあるのか、世界恐慌でも起きて倒産してくれたらいいのに、と子供じみたことを考えていた。
ただ、あの時の僕はトイレの後に毎回壁に回し蹴りせずにはいられないほど、疲弊していた。(1年半くらいその奇行を繰り返した訳だが、よくバレなかったものだ)

では何がそんなに苦しかったのか。
本当に色々あるが、一言でいうとその仕事に社会的な意義を感じられなかった。
作業レベルではなく、会社ひいては業種そのものの存在に対してだ。
いわゆる”ブルシット・ジョブ(社会に何の影響ももたらさず、働く当人も意味がないと感じている仕事)”だと考えていた。
※これを50代くらいの方に話したことがあるが、案の定「意味のない仕事などない」と25分程度のお叱りを受けた。これは口を滑らした僕が悪い。

これは「僕がまだ仕事人として未熟だから理解できていないだけ」、とか「仕事を依頼する相手がいて成立するのだから、意味はある」など、反論もあると思うし、僕自身もその可能性は考えた。

しかし、先輩や役員の仕事を間近で見続けた結果、「自分がこの仕事を辞めても、更には会社が潰れても、クライアントは別に困らないだろうな(2日ほど若干の混乱はあるだろうが、経営には何の影響もない。むしろ高いコンサルフィーが浮いた分、別の投資に回せていいだろう。)」と結論づけた。

これは理屈で考えても、直感的にも、自分の中で覆らない事実だった。

・・・ここまで別に大した話ではないが、人間にとって意味や目的を失った仕事を続けるほど、精神を蝕むものはないのだと思う。社内会議も、報告書も、プレゼンの練習も、クライアントとのミーティングも接待も、社内調整も、計画策定も、仕事のための自己投資も、上司との面談も、すべて虚構の営みだった。
そんな虚構に対して、計画し、準備し、実行し、フィードバックを受け、時に上司からまあまあキツいことを言われ(〇〇君は知的障害を持ってる人のような特徴がある等(笑))、改善をし、対策案を出し、
面談や食事の場で、微塵も本心でない自分の成長プランを説明する。

いわゆるエッセンシャルワークに属する農業、介護福祉に従事する方々が、人間の生命維持にとって本質的な価値を生み出している一方、
こんなしょうもない仕事で給料をもらう自分は、社会にとって”害悪”だと考えていた。

明日円の価値が暴落したら、戦争が起こり都心部からの避難指示がでたら、いわゆるホワイトワーカーである僕に、本当の意味で生きる力はあるのか?
PCをカタカタ叩いても、ご飯は食べられないし、大切な人は守れないし。。
現実は、無駄な仕事のために、無駄に魂を擦り減らす毎日。

まあ、少し主語や設定が大きくなってしまったが(割と差し迫った現実ではあると考えているが)、こんなことをずっと考えていながらまともに仕事はできなかったし、精神も病む。

そして僕は半分震える声で、上司に退職の意向を伝えた。

※長々書いて思ったが「ケツの青いガキが仕事に意味を感じられなくなって辞めた」だけの話で、あまり面白くはなかった。

■それから

次のアテがない訳ではなかった。

友人とある事業を始める予定があったのだ。
事業といっても個人規模の、まあ趣味にケツ毛が生えた程度のものだ。

営業や商品開発などそれぞれで分担し、何となく将来に希望を抱きながらスタートした。
これを退職後の数ヶ月取り組み、いくつか仕事は取ることができた。

それらは大失敗した訳ではなかったのだが、少なくとも自立した生活をできるほど収益の見込めるシロモノではないことが分かった。
もともと、かなり楽観的な計画ではあったし、やり方を変えればまだ余地はあったが、
僕も友人もそれほど大きな野望も物欲もなく、それでも試行錯誤するほどのエネルギーはなかった。

まあ、そんな訳で「これは副業に過ぎないな」とお互いの合意の上(友人は正社員として仕事を続けている)、気が向いたらやる程度のライフワークとなったのが最近だ。

■現在

つまり、現在の僕はバキバキのニートだ。
特に稼ぎもなく、起業や就職など将来のビジョンもなく、実家の世話になっているだけの、健康な青年だ。

未だに意味のない仕事のために働きたくないと思っているし、
労働人口の過半数が苦しむ構造になっている資本主義経済なんて、基本的にファックなシステムだな、などと代案もなく思っている(自分もニートの鉄板の言い訳をするようになったなあ)。

かといって特に将来に悲観している訳ではなく、まだまだ行ってみたい国もあるし、観たい映画もあるし、読みたい本もある。人との交流も好きな方だ(他人の価値観に口を出さない寛容な人に限るが)。

再就職に関しても、興味があって、社会的な意義を感じて、自分の得意分野っぽい領域があれば、正社員でなくてもしたいなと思っている(まだ仕事を選り好みしてもいい年齢のはず)。

まあ、いずれにしろブログは続けてみようと思う。
「書く」というのは、噂に聞いた通り気持ちのいい行為だし、頭の中を吐き出し、自分を癒やす営みのように思える(字慰行為とい)
未来の自分がこの文章を読んだら面白いだろうな。

ここまで読んだ人がいれば奇跡だとは思うが、下ネタでもいいのでコメントしてもらえたら嬉しく思う(最近は孤独を感じているので)。

■今後書きたいテーマのメモ

・友人からマルチに誘われているが、辞めて欲しい。
・お笑いがあってよかった
・強迫性障害が倒せない
・中古物件とじゃがいも畑が欲しい

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