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愛猫 闘病日記・9週目②

前からの続きです。


猫の呼吸が止まった事を認識して悲しくてたまらなかったが、同時にホッとした。もうこれ以上この子は苦しくないのだと。2ヶ月も続いた具合の悪さももうないのだ。

寒い場所にいたから脚先がもう冷たくなっていた。目も開きっぱなしになってしまった。

「身体が固くならないうちに籠に入れよう」

いつも寝ていた籠があって、そこにトイレシートを敷いて枕を作って寝かせてあげた。最後の抱っこだと思ってしっかり抱いた。6.9kgもあった体重は4.2kgまで減ってしまった。こんなに軽くなって…。病気になってから、抱っこをするといつも私の頬に頭を擦り寄せていたのを思い出した。元気な頃はもっとふかふかで大きかったのに、最後は頭の骨を感じるくらいに小さくて、でもピタと頬にくっつけて離れなかった。アレは具合が悪いながらも精一杯の愛情表現だったんだと思い返した。

カゴに寝ている猫の為に、兄はカツオ節を供えてお気に入りの線香を焚いてあげていた。何度も顔を見に行っているから私も行って一緒に眺めていたら「悔しいけど、話すと泣けてしまう」と小さくこぼした。「初めて懐いた猫だから。俺が帰って料理をしてるとゴロゴロ言って付いてまわって、終いには肩に乗ってきた。いつも。可愛かった」知っている。兄にしては珍しく、よく猫を抱っこしていた。猫が部屋の前に遊びに来るとドアを開けて入れてあげていた。猫も兄が優しいとわかっててやってた。仲良しだったよね。

父は「本当に死んだのか」と呆然としてた。「昨日までご飯もちゃんと食べれて、あんなに元気だったじゃないか」本当に、みんながそう思ってた。

母とは寝る前にたくさん話した。

抗がん剤をやって良かったという事。あのまま何のしなかったら、何の病気かわからずに具合が悪くなってく猫を見ているだけしか出来なかった。あの時は排泄の調子も悪かったからきっと粗相も増えて、家族も猫も限界がきていただろう。そうしたら両方が不幸だった。でも、リンパ腫とわかった事によって心の準備ができた。猫を看病する方向性が見えて、みんなで頑張れた。猫も一時だけど気力体力が回復して、みんなに一通り甘えられた。同じ1ヶ月で死を迎えるにしても、全然内容が違う。良い時を過ごせて良かったという事。

4回目の抗ガン剤の事は仕方ないという事。あの時一種類ずつにしてれば…というのは結果論だし、時間は戻せない。むしろ一種類ずつにしたらもっと長引いて、猫はただただ苦しい時が長くなるだけかもしれない。毎日注射されるのもするのも、見ててかわいそうだった。猫は賢い子だから、もうこの辺で逝こうと思ったんじゃないかな、と母は言った。

たしかにすごいタイミングだった。ちょうど前日までが仕事の繁忙期のピークで、1週間くらいゆるりとしたらまた繁忙期が始まる、ちょうど谷の時だったのだ。逝くのも、家族全員が見守れる夜の時間帯で、私たちは今まで猫を飼ってきて初めて看取る事ができたのだ。(他の二匹は仕事に行って帰ってきたら亡くなってた)

その夜はあまり眠れなかった。とりあえず目は瞑っていたけど、寝た記憶がない。

翌朝、お願いしようと思っていたお寺に電話したら、その日はどうしても忙しいから夜の8時に伺う事になった。昼間なら私と父で行く予定だったが、夜なら家族みんなで行ける。「猫はみんなに見送ってもらいたいんだよ」なんて話した。

その日は仕事にならなかった。油断すると泣ける。仕事しながら猫の事をいろいろ思い出した。

猫を保護猫さんのトコに初めて見に行った日、とても性格の良い母猫から生まれた子がいるからどうかと言われた。誰にでも抱っこされる母猫だから子猫も性格が良いよ!と言われ、本当はお腹の白い茶トラが欲しかったのに、子猫たちを見たら一瞬で好きになってしまった。3匹の中から選んで、と言われて今の子を選んだ。この子は1匹だけ屋根の上に取り残されちゃった子で、捕まえる時にちょっと怖がらせてしまった…でも一番甘えん坊で人の膝に入るのが大好きな子だよ、と言われとても楽しみだった事。

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来て1週間は私の部屋で育てた。噛まない子に育てたくていろいろHさんに教えてもらった。

でもそんな事しなくても猫は良い子だった。今まで一度だって怒ったり威嚇した事がない。優しくて甘えん坊で臆病で穏やかな子。

お風呂で猫を洗うと大概の猫はブチ切れてしばらく私の事を嫌うけど、この子は洗ってる時も怖がるだけで怒らない。その後もすぐに寄ってくる子だった。「良い事してくれたってわかってるよ」とでも言わんばかりに擦り寄ってくる子だった。

レーザーポインターで遊ぶのが大好きで、でも太ってたから2,3往復も走るとすぐ休んでた。遊びたい時はレーザーポインターを探して道具入れをガサガサしてた。

人が飲んでる水が飲みたくて、コタツの上の水に手を出してビシャビシャにして飲んでよく怒られてた。

名前を呼ぶと絶対こちらを見る子だった。しゃがんで手を広げて名前を呼ぶと、駆け寄ってくる子だった。犬かな、猫じゃなくて犬なのかな、なんて笑ってた。でも写真撮られるのが嫌いでいつも微妙な顔してた。

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人の膝がホント〜に大好きで、ちょっと階段に座っただけで膝に乗りに来る子だった。グルグルゴロゴロ言って、しばらく動かない。頭でもお腹でもどこでも撫でさせてくれる子だった。毎朝母の膝に入り、毎晩父のお腹の上で寝てた。

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私が部屋から出て階段を降りると、絶対下で待ってる子だった。抱っこすると肩に手を置いて乗り上げてきて、顔中に身体を擦り寄せてきてた。料理してると肩に乗りたがるし、猫のトイレ掃除するとそれは見たくないらしく降りて逃げてくのがおかしかった。

寝方がいつもおかしくて、寝姿ばっかり撮ってた。

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いろいろ、いろいろ忘れたくない。全部書き残しておきたい。

夕飯時に膝に乗ってくるから、仰向けに抱っこして頭を撫でると嬉しそうに目を瞑る事。

病気になってから抱っこした時に頬に当たる小さな頭の感触。

前は抱っこすると重くて困ったのに、病気になってからは軽くて、不安になった。

まだ若いし闘病生活も長くないから、死んでしまった後の毛もふかふかで綺麗だった事がとても悲しい…。最期の1週間で私たちに全部の「大好き」をたくさん伝えていってくれた。オモチャより外の景色より人が大好きな猫だった。


猫は幸せだったのかなと思ったりしたけれど、私が幸せだったんだからあの子も幸せだったと思う。さまざま後悔はあるけれど、一緒の時を過ごせた事には須く感謝したい。

Hさんに報告した際の返信の中の一言

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この言葉にとても救われました…そっか、また帰ってくるかもしれないんだね。

また猫に会える日が来るといいな。待ってるぞー!コター!

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