生存本能

日本では人間の三大欲求として「食欲」「睡眠欲」「性欲」が挙げられている。
これらのうち最初の2つは確かに、積極的に欲して十分に摂っておかないと自分の肉体を維持することができない。摂らなければ、確実に死ぬ。最後の1つはどうだろうか?その欲から表れる行動は、必ずしもしなければ死ぬわけではない。しかし、生き物にとって死なないということは、自分の肉体を維持することだけではない。生存本能とは、自分が生まれてから死ぬまでの肉体の維持と、種の保存である。種の保存とは自分の肉体を複製する意味があるので、つまり、自分の命を繋ぐ役割であって、食欲などと同様に生きる手段による欲求と並べられてもおかしくはないと思う。

ぼくは、人間なんて滅ぶべきだと、自分なんてさっさと死ねば良いと理性では思っている。しかし、生き物である以上、肉体は生きることを求めているのだ。本能には逆らえない。理性では死を求め、本能では生を求める。そこには凄まじい葛藤があり、それによって、ぼくの頭と心と体はさらに消耗を加速しながら、死へと近く。本当に肉体が死を迎える時、ぼくの理性はそれを素直に受け入れ、肉体は抗うのだろうか?知りたい。一度、死んでみたいものだ。

擬似的な再現手段として、金縛りは一つ近いものなのかもしれない。
頭は覚醒を求め、肉体は睡眠を求めている状態が金縛りだ。金縛りに遭遇すると、ぼくの場合は、頭の睡眠よりも肉体の覚醒を求めた。覚醒状態を生きたものと考えれば、本能では生死の狭間でも生を求めるのかもしれない。理性なんて、結局それだけ弱いものなのだ。

こうして肉体が生きている間は、理性と本能の狭間でもがき苦しむ。
苦しめば苦しむほど、理性は死を求める。きつい。

あー、早く死にたい。

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