豊かさが生む底なしの不満足 ーフランクルと勝田先生のまなざしー
たとえば、こんな人は幸せだろうか。
仕事以外ではほとんど他人と交流することがなく、余暇の時間はほとんど自分の好きなことをして過ごすだけ。
自分のためにはお金も時間もかけることを厭わないけれど、社会に困窮している人がたくさんいるという事実にはほとんど関心がない。
また、自分のことを話すのは好きでも、他人の話を聞くのは退屈で仕方ない。
誰かに「どこかに行こう」と誘われても、一人でいるほうが楽なので断る。
これは「NHKこころの時代ーヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある 勝田芽生」より引用した文章。
こんな人が増えているという勝田先生の指摘に思わずドキッとする。
これの何が悪いのか。誰にも迷惑をかけず、自分の好きなことをすることに何の問題があるのか。
フランクルによると、「自分だけが幸せなら、あとはどうでもいい」という態度は、「健康な心を持っている人にはあり得ない」。なぜなら、人間というものが本来「意味への意志」を持っているから。
「意味」とは。
フランクルの言う「意味」とは、普遍的に人類全体に意味があるもの。
そういうもののために生きる意志を人間であれば、根源的に持っている。
だから、自分のためだけに、自分の快適だけを追求していくと、幸せになるどころか「空虚」になる。
フランクルは、こういう考え方をナチスによる強制収容所での生活の中で、自身が体験したことから確信し、ロゴセラピーという理論にまとめた。
強制収容所での、極限的な飢え、劣悪で不衛生な環境、日常的な暴力の中で、自分のパンを他者に分ける人、倒れる人に肩を貸す人、代わりに暴行を受ける人、そんなすばらしい人が実際にいたそうだ。
フランクル自身も、過酷な環境の中で、自分がぎりぎりにもかかわらず、他者を助け、励まし続けた。
人間も動物の一部であり、生存本能に操られて、自分の身が危険になると他者を殺してでも自分が生き延びようとする。それが動物として自然。
しかし人間には、体と心だけでなく「精神」があり、その精神が動物としての生存本能を超えて、他者のために意味があることをしようとする。良心が意味をキャッチする。
豊かさの中で底なしの不満足に陥らないためにどうすればいいのか。
自分だけを過剰に観察する「過剰自己観察」を止めて、他者にまなざしを向ける。
そして、苦悩を避けない。
苦悩はできるだけ避けたい、普通はそう思う。
しかしフランクルは、強制収容所での体験から、苦悩が人間から心理的な硬直状態を遠ざけ、心理的には生き生きとさせ、さらに、成長と強い力を与えると教えてくれる。
フランクルのロゴセラピーは、自己中心的な欲求を「意味」あることのために抑制する、そのために自分で自分を教育していく、自己教育の思想。
フランクルの理論はかなり難解らしいが、この本とNHKの番組で勝田芽生先生がとてもわかりやすく解説してくれた。
フランクルと勝田先生のおかげで自分の間違いに気づき、何が幸せなのか、どうすれば幸せになれるのか、見えてきた。
今はまだ自信がないが、いつか死ぬとき、意味のために死ねるようでありたい。
ありがとうございました。🙏