コロナ禍は社会的現象と化した

1.はじめに

この文章では、以下のことを説明する。すなわち、コロナ禍は医者によって、医学として研究されるのではなく、社会科学・人文科学の面から研究されるべきだということである。

なぜなら、医学では説明できない現象が多々あるからだ。

2.本題

一つ例を挙げる。「喪」という言葉がある。身内が死ぬと、一定期間謹慎することで真心を示す風習である。孔子が死んだ時、多くの弟子は孔子の死んだ地でしばらく喪に服した後解散したが、ある弟子は数年も、そこに留まって自らの気持ちを示したという。

この喪の例と、コロナが流行した際に我々が強める自粛(ムード)は、あまりにも似ていないだろうか?なぜなら、自粛することで、コロナを抑えたいという政治的に正しい意見を示すのだから。

第○波が来る、それまではさほど自粛などしないにも関わらず。医学的には、第○波が来ようと来るまいと自粛すべきであるのに、波が来た時だけ人々が自粛するのは不可解である。

このように、コロナ禍においては、医学のみに基づいて自粛するのではなく、社会的な配慮からも自粛するのである。

3.おわりに

本題で、一例を挙げてコロナ禍(にともなう自粛)は社会現象でもあることを示した。これによって、コロナ禍の人災的な側面が強調されるだろう。

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