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日芸大生の詩を読む

日芸(日本大学芸術学部)の学生K君の詩を読んで思うところがあったので、詩については門外漢であるけれども、感想を書く。詩は以下の通り。

地方都市K

枯れた花に水を垂らす老夫の朝を
パンをちぎるように奪いとる
器用な魚に男はなれないまま
グリスの塗られていない徒労
父 祖父 祖父と重なっていく
ひえた遺骨の上を歩いて働く
街から抜け出せない街の人となった

まずしい風景に鞭を打つ公務員たちは
この街の くさった霧の塩気を舐めることなく
春の山菜採りのように まだやわらかな思想を
狂ったように摘んでいる

パンをつつけるおだやかな夜がやってくると
異国の民が電気屋に住み着きはじめた
いよいよ男は そしてその友人たちは
街の隅へと追いやられた挙句
郊外のショッピングモールを拠点とする
花も水も魚も思想もない歳月に婿集する他なく
漁師だった者は悲鳴を生業に
農夫の娘は逃げるように都で水を浴びる
あるいは日めくりカレンダーのように
自傷しつづける
地方都市Kに還ることを
抗いながら
(『江古田派』、4号、2018年)


まず感じるのは、地方都市Kの閉塞感である。
「枯れた花に水を垂らす老父」「ひえた遺骨の上を」と、あいまいにしか意味を取れないが、この都市は今後発展することを期待できないと分かるネガティブな言葉が並んでいる。
また、「徒労」「器用な魚に男はなれない」ということから、将来性がないだけではなく、そこに住む人々は苦労を強いられていることも読み取れる。
作者は地方出身であるそうなので、彼の体験が反映されているのだろう。


ところで、詩の初めから終わりまで「男」が登場することから、おそらく彼が主人公として扱われている。
また、彼はわかりやすい被害者としてもされている。というのも、彼には主体性が見られず、状況に流されるまま行動させられているからだ。
「街から抜け出せない街の人となった」「街の隅へ追いやられた」「蝟集する他なく」と書かれている。


街の閉塞感、苦労、状況に流される男。ここから、彼は被害者としての意識および無力感を持っているのではないかと思われる。
そうだとすれば彼は、「主体的」に加害者へ復讐を果たすのではなく、むしろ「受動的」に、いつか自分を助けてくれる救世主をおそらく待ち望むのではないだろうか。
ちょうど、アメリカではそのような現象があった。いわゆる「トランプ現象」である。アメリカ人の一部は現状を打破すべく「主体的」な行動を起こしたのではなく、むしろ、「消極的」に、トランプの名前を選挙票へ記入したに過ぎないのである。
トランプ氏は自ら、窮状にある地方のアメリカ人を救うことを示唆する発言を、大統領選の勝利宣言で行っている。
「すべてのアメリカ国民が、可能性を最大限にまで伸ばす機会を与えられます。この国の忘れられた人々は、もはや忘れられることはないのです」「私たちは再建の過程の中で何百万もの人々を雇用します」
(https://www3.nhk.or.jp/news/special/2016-presidential-election/victoryspeech2.html)
日本でも「トランプ現象」が起きるとは限らないが、もし起きるならば、この詩は、現象が起きるまでの過渡期の状況を示すものになるかもしれない。



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