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身体の縫合/『心と体と』

 知り合いに現在公開中の『ストーリー・オブ・マイ・ワイフ』(エニェディ・イルディコー、2021)を誘われて、同監督の前作である『心と体と』(2017)を今更観た。

 左腕に機能障害を抱える食肉工場のおっさんエンドレ(ゲーザ・モルチャーニ)が、産休代理で派遣された自閉症の女性マーリア(アレクサンドラ・ボルベーイ)と同じ夢を見ることを認め合ってから、互いに惹かれ合っていくラブストーリー。

 彼女が自閉症であることは鑑賞後調べてから知ることとなったが、人間関係の馴染めなさや、身体接触を嫌悪する様子、また記憶力が優れていることによってそれは示唆できるらしい。映画の主題となる男女の惹かれ合いは、これら彼女の抱える症状の克服によって進行していくように見え、一応の主人公であるエンドレは特にアプローチを行わない。だいたい、人間関係にせよ身体接触にせよ、それらは映画冒頭からセクシャルハラスメントとして描かれているため、わざわざそれを女性の側が克服しようとするのは若干モヤる。ただそこにミソジニーの自覚、批評的な視点があることは確かだ。

 食肉工場が舞台であることから、消費されゆく牛=女性といったメタファーを想定することは容易だが、屠畜された牛が部位によって切断されていくのと同様に、マーリアの身体はカメラや小道具によって切断された状態で何度か登場する。冒頭、エンドレが、外にいるマーリアを見ている時も腹部→顔→足の順番で身体が3つのカットに切断され順に写る。

また、窓枠の外から彼女を撮る際には、その窓枠の横の線が彼女の身体に重なっていることが多い。対するエンドレは、常にフレームを連想させる窓枠に全身が収まった状態で登場する。この対比からジェンダー間の身体の受け取られ方の差異を表現しているとするのは説得力に欠けるかもしれないが、他方ここではマーリアを切断してみせる撮影には興味深いオチがついていたのでそこに言及したい。

 エンドレに対する恋心に気づいたマーリアは身体接触への嫌悪感の克服のため、①マッシュポテトに手を押し付けたり、➁公園で他人の身体や他人同士の身体接触を観察したり、③ぬいぐるみを使って胸や陰部に触れる練習をする。①では顔のクローズアップと手のアップのみ、③では布団に潜った顔のクローズアップと(わかりづらいがおそらく)胸と陰部の2つのカットを繋いでいる。モンタージュ、もしくは視点の強調による繋ぎで、そもそも布団に潜る人間の身体を1カットで見せることは至難の業であるため偶然かもしれないが、全身のマスターショットが挿入されないため、一人の人間が行っている行為であると断定し兼ねる。
 フレームとカット割りによる彼女の身体切断は、自我の未発達を象徴していることは自閉症の設定を知る前から見出すことは可能だった。第一、この物語の一番重要な要素である夢、また分析医が登場することからも、精神分析を意識した話であることは察することができる。マーリアが身体接触の嫌悪感の克服を試みるのと同時に、他人から好かれるためにはどうしたら良いのかと鏡を持ち出すあたり、ジャック・ラカンっぽい。
 ラカンは自我の芽生えは他者を認識すること、自他それぞれの身体像を切り離すことから生じると説いていることを踏まえれば、マーリアが一人で自身の身体を統一しようとしてもそれは不可能であり、他人の身体を知覚する必要があるというわけだ。
 ➁において、マーリアの視点に同定されたカメラは絡み合う男女の身体を1カットで写し出す。公園から人が消えた後、スプリンクラーから出る水に濡れるマーリアは全身がショットに収められ、深く感動している様子が見られる。しかし、③において、性的な快楽を感じることに成功しても身体が断片的に写るのは、再び彼女がひとりでいるからだろう。
 この物語において主人公たちのセックスがひとつの目標めいて語られることは気持ちが悪いが、それが果たされる前にマーリアの身体統一(=自我)の成立が訪れるのは興味深かった。
 すれ違い傷ついてしまったマーリアは風呂場でリストカットを行う。カメラは彼女がガラスによって切り裂いた腕から、胸、顔のクローズアップへとはじめて縦方向に移動する。接触を通り越した身体の破壊が彼女にその統一をもたらしたと考えられる。牛のように死ぬことによって一つの物化することが身体を「一」として捉えることもできるだろう。傍ら流れるラブソングは彼女の「心」を支える。彼女の自殺は突然のエンドレからの電話、愛の告白によって中断される。自己と他者が生まれ、愛が成就する段階へと発展したととるべきか。

 セックスを終えたマーリアはベッドの横に垂れ下がるエンドレの動かない左腕をそっとすくう。まるで身体から切り離されたようにここでは断片的に写る彼の腕を、身体へと戻してやるように、二人の腕はフレームアウトし重なる身体へと還元される。


文:毎日が月曜日

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