ウェス・アンダーソンの映画史横断旅行
映画の死を警告した者たちが死して行く現在、その死に抗うために映画の本質を捨て去ろうとする誤ちは多く挙げられる。世界は分断され個人的経験にヒエラルキーが設けられた現代、硬直した物語を楽しむことの価値が揺らぎ始めている。多元宇宙間(マルチバース)の放浪は、物語を個人的経験へと接続する幻想を手助けすることに成功しているが、その接続の過程を彷徨うことしかできないだろう。なぜなら、物語宇宙と我々観客の住む宇宙の境界には断じて破られることのないスクリーンが存在するからである。だからといって多元宇宙の夢が陳腐であると言いたいわけではない。我々は、映画は元々多元宇宙的芸術であることを映画から学ばなければいけないのだ。
ウェス・アンダーソンはそうした映画の多元宇宙性にキャリアの初期から忠実な作家であった。『天才マックスの世界』(1998)の劇中劇で描かれるベトナム戦争はその手前で演じられる三角関係よりも「リアル」な質感を持ちながら、演劇であることを強調する矛盾で満ちている。そうした作り物の中の作り物感が暴かれるとき、手前にある作り物は存在を自らに問いかける。その問いこそが「映画とは何か」という問いと接続され、映画の存在意義について問うことが可能となる。元々それはゴダールが始めた問いであるが、彼が自らのその生にクランクアップを告げてから1年経たずに映画についての映画が量産されている事態を我々は映画の死を前にした不安ととらえるべきである。その焦りに身を任せた結果『バビロン』(2022)などという駄作を撮ってしまったデミアン・チャゼルに比べれば、この焦りを90年代から抱いていたウェス・アンダーソンはもはやその死を受け入れるように『アステロイド・シティ』(2023)を撮ってしまった。『アステロイド・シティ』という映画は自らが存在し存在させる世界が映画の世界であることを知りつつ「映画とは何か」という問いを投げかけている。
横断的映画史旅行
映画作家の誰もが一つの時代に捕らわれている。とりわけ映画が死にかけた60年代と80年代を経た70年代と90年代に行われたのは、それぞれ50年代と70年代の方法論を用いた映画作りであり、前者にはスピルバーグやデ・パルマ、後者にはタランティーノやポール・トーマス・アンダーソンが挙げられるが、なぜ彼らが2つ前の時代の映画を至高としたのかは、単純に幼少期の映画との出遭いというノスタルジーを読み取ることもできる。
だが、ウェス・アンダーソンの懐古趣味は映画の誕生初期から50年代と幅広い。なぜその範囲なのか。やはりゴダールが念頭にいるのではないだろうか。59年の『勝手にしやがれ』以前の映画史、まだ正気を保っていた頃の映画史をウェス・アンダーソンが顧みるのは、1つ前の時代ではなくもはや目の前に映画の死が拡がっていたからかもしれない。
そうしたウェス・アンダーソンの映画史の懐古趣味は全ての作品で見ることができるが、近年彼が取り組んでいるのは映画史の横断であるとも言える。ウェスにとって映画誕生から50年の歴史というのは、例えばアメリカ映画に限ったことではなく、ドイツ映画がそうであり、フランス映画をも含む。近年の実写作品3作、『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014)、『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』(2021)、『アステロイド・シティ』がそれぞれドイツ、フランス、アメリカの映画誕生から50年代までの記憶の再現として撮られている。フリッツ・ラングによる活劇とムルナウによる感情の昂ぶりが『グランド・ブタペスト・ホテル』にある。ヌーヴェル・ヴァーグ直前のクルーゾーによるサスペンスとルイ・マルによる無情が『フレンチ・ディスパッチ』にある。ジョン・フォードの西部とウェルズのカメラの傾きが『アステロイド・シティ』にある。こうした作品ごとの方法論の変化はウェスの映画知識の披露のためだけにあるのだろうか。否、それらの舞台となる世界の風景をウェス・アンダーソンは映画によってしか見たことがないがゆえに、彼はそれらの世界をとらえた映画を反復するほかなかったのだ。
全てを映画にすること
もちろん、我々観客だって歴史を、映画を通してでしか見たことがない。それは再現された歴史であることを誰もが知っている。カメラを通して映画の一つとなった歴史とは真の歴史にはなり得ず映画と呼ばれる。ウェス・アンダーソンはそれを明らかに知っているため、この三部作は全て未来から過去にかけて語られる回想三部作である。そして、その回想の方法である伝承、雑誌、テレビ番組(もしくは演劇)はすべて映画として再現される。
「伝承」は使い慣らされた手法であるため『グランド・ブタペスト・ホテル』に難解さはないが、『フレンチ・ディスパッチ』の「雑誌」を映画で見せることには驚かされた。革命やティモシー・シャラメによるジャン=ピエール・レオーのモノマネからヌーヴェル・ヴァーグへの愛を捧げたと勘違いされがちな本作は、その映画運動の直前のフランス映画の方法を採用しており、またそれはカイエ・デュ・シネマが対象とした映画であるということでホークスとヒッチコックへの目配せも忘れていない。第三幕では『ヒズ・ガール・フライデー』(1940)のような軽快なリズムと『暗殺者の家』(1934)顔負けのカットバックによる銃撃戦がコミカルに演じられる。
「テレビ番組」も然り、演劇はまさしく50年代アメリカ映画の死亡宣告であったと言える。テレビの普及は観客を劇場から遠ざけた。そして演劇が象徴するのはメソッド演技の導入だ。映画という作られた世界の上に「リアル」を求める演技の方法論は矛盾をもたらした。そのエリア・カザン的なアクターズ・スタジオの様子をウェス・アンダーソンは『アステロイド・シティ』で迷いもなく機械的な演技で再現してしまうのだが、これは映画によって撮られてしまったためである。
テレビ番組と演劇という二つの宇宙を有する『アステロイド・シティ』では、その宇宙間で演技演出の差異を見出すことはできず、二つの宇宙は相互に反応し合う。だが、見逃してならないのは彼はもう一つの宇宙の存在を示唆していることだ。それは「死」という彼岸であり、この場所にいるのはそれぞれ『天才マックスの世界』では母、『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2001)では妻、『ライフ・アクアティック』(2004)では友人、『ダージリン急行』(2007)では父、『ムーンライズ・キングダム』(2012)では両親、『グランド・ブダペスト・ホテル』では師と恋人、『フレンチ・ディスパッチ』では編集長である。そして『アステロイド・シティ』でまた妻がそこにいる。そこは決して描写されることのない宇宙であり、我々観客と同様、映画の中の登場人物たちもたどり着くことができない。ウェス・アンダーソンの映画の登場人物たちは常に死の欲動に突き動かされており、故人との再会のため、喜んで死に飛びつくが、それは果たされない。映画が死を描くことができるならば、それは映画が死んだときだろう。生と死、映画と現実がここで比較される。作り物の世界から真実の世界への挑戦は死を以て果たされるが、それが不可能であることを学んだ映画は映画の不条理こそを愛しカメラの前で動いて見せるのだ。
彼岸を設定し、映画をひとつの虚構世界としてとらえ続けた1人にスティーヴン・スピルバーグが挙げられる。『アステロイド・シティ』がスピルバーグ他同世代のアメリカ映画人に謝辞を捧げるのは、当時の映画人がウェス・アンダーソンと同じ方法論に基づいてウェルズやヒッチコックを参照して60年代の死にかけた映画史に抗ったからだろう。
映画と映画
カメラを通したものはすべて映画になる。『軽蔑』(1963)においてゴダールは映画内映画──それを監督するのはフリッツ・ラングである──と同じ方法で手前の映画を撮ることで映画に支配された映画、そのウロボロス的不条理の世界を描写してみせる。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)でカメラは撮影現場からその手前にある世界を横切っていく。もはやそこに二項対立はなく、クエンティン・タランティーノによる「映画は映画」であるという限界──かつ救われなかった命に対する追悼──となっている。『フェイブルマンズ』(2022)においてスピルバーグは映画の不可能性を説くが、その不可能性が『フェイブルマンズ』という映画によって既に克服可能なことを映像によって示している。
映画と映画は時に反発し、結託し、弁証法的に成長を遂げる。これらを前にして『バビロン』という映画は、映画内で描かれる映画は面白いのかもしれないが、その手前の映画となっていることに気づかないラブストーリーは、まるでカメラが回っていない所であくびをしてしまった大御所俳優のような痛々しさがある。映画の中の映画とその手前の映画が対話不可能なものとした若きチャゼルに対して、ウェス・アンダーソンはそれが対話可能であるという映画の特異性を示し、「映画は映画である」と宣言し続けるのだ。
文:毎日が月曜日
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