政治家の言葉/編集者時代の回想

できれば、ホンモノな人だけを取材したい。
雑誌編集者だった頃、おつきあいのあったカメラマンの一人の言葉だ。
人間の「ホンモノ」ってなんだろう。


人生が残り少なくなってきたからか、時々そんなことを考える。

20代の終わりから30代はじめにかけ、いわゆる大物政治家の取材に同行する機会を得た。田原総一朗さんが、時のVIPや、往年の大物にインタビューし、速記録を雑誌掲載用の記事にまとめる仕事だ。

喋り言葉と、書き言葉は違う。喋ったままを文字にしても、読むにたる文章には、まずならない。

当時、月刊総合誌の記事は、8ページだと400字づめ20枚程度の原稿になる。忙しい政治家の取材は、長くて1時間だ。1時間の速記を、読むにたる8000字の原稿に作り直すのは、結構な手間だ。
手間がかかるぶん、政治家が「語るにたる政治的信念」の持ち主かどうか、「今、対処している物事に対する明晰な分析力」があるかどうか等、政治家としての「本質」が見えてくる。

例えば、渡辺美智雄氏は、びっくりするくらい、しゃべり言葉が、そのまま「書き言葉」になる人だった。ちょっとした「てにをは」を直すだけで、読み応えのある文章になるのだ。当たり前の話だけれど、しゃべり言葉と書き言葉は違う。速記録をそのまま活字にしたら、おそらく訳が分からないものになる。
そして、読者に意味が伝わるような文章に仕立てるには、当然ロジックが必要だ。要するに、渡辺美智雄氏は、風貌や喋り方こそ、典型的な自民党的オヤジ政治家そのものだったが、頭脳は「ロジカル」だったということだ。


亡くなる数ヶ月前に取材した福田赳夫氏は、お会いするとやせ細って、喋るのがやっとという状況だった。喋りながら時々、急に関係のない事を言い出す。これは記事にまとめるのに苦労するなと思ったが、速記録をまとめていて愕然とした。聞いていて突然飛び出した関係ない話は、実は、その前に喋っていて足りなかった事を捕捉する内容で、順番を入れ替えたら、立派に論旨の通った堂々たる文章になったからだ。さすが、大蔵省(当時)でも百年に一人の逸材といわれた人だけの事はあるな、と思った。


逆に、その時々の時流にのって、メディアで持て囃された政治家で、喋ってる時は勢いがあって耳を傾けたけれど、文章に直すと、空虚な内容を繰り返しているだけ、という人も少なくなかった。


たとえば、戦時中、大本営の参謀で、戦後は一流商事で出世し、晩年は政界のフィクサーと言われた人物を取材した時だ。
顧問をしていた商事会社の最上階に広いスペースを占有していたその人に、インタビュアーの田原総一朗さんは、彼が大本営参謀として、終戦間際のソ連との交渉のため満州に飛んだ時の事を質問したら、
「あれは確か、8月の何日の、何時でした。いや、何時何十分だったかな……確か飛行場はどこで……いや、別の飛行場だったかな……」
と、どうでもいい細部についての記憶をたぐりはじめた。
当時、その人物が担当したソ連との終戦交渉で、おびただしい日本人を苦難に陥れた「密約」があったのではないかと囁かれていた。
田原さんは、時に相手を挑発して本音を探りだそうとするテレビカメラの前での司会と違い、オフカメラの取材の際は、細心の注意を払って言葉を選び、深く相手の心に浸透しようとする。
満州に出発する飛行機の時間という、どうでもいい事柄に貴重な取材時間を消費しようとする元大本営参謀に対しても、田原さんはテレビの時のように「そんな事はどうでもいいんだ!」と声を荒げたりせず、辛抱強く、耳を傾けていた。
で、担当編集者である私は、どうでもいい、文章にすれば1行にもならない事柄に拘泥しつづける元大本営参謀のもったいぶった話しぶりと、刻々と残り少なくなっていく取材時間とに、焦りを覚えていた。
記事のメインテーマは、どうせ真相なんかしゃべりっこない「終戦時の密約」ではなく、元軍人の彼が、戦後日本経済に商社マンとして果たした役割だったのだけれど、このペースだと「密約」にまつわる話を、深層に振れることなく、時間切れになりそうだったからだ。


結果的に、それは杞憂だった。
元大本営参謀は、当初1時間の予定だったインタビューを、なんと、3時間近く続けたからだ。
普通、そういう場合だと、秘書的な人が「まだかかりますか?」と打診してきたりするが、そんな事はなかった。
どうやら、単に暇だったらしい。
その後、色々と聞いてみると、彼が顧問をしていた商社でも、たいして抱えておくメリットもないけれど、悪名も含めて世間では大物だけにお払い箱にもできず、もてあましているという噂もあった。
3時間の速記をまとめるのに、たいして労力はいらなかった。中身がすかすかだが、データ量だけはあった。無駄な言葉を切っていけば、それなりの文章にはなった。それなりの文章にはなったが、読者の心を動かすような中身は、ゼロだった。

困るのは、やたら雄弁だけれど、実は、どんな質問をされても、同じような中身の返事しかしない政治家だ。政治改革まっただなか、その渦中でシンボル的役目を果たした政治家(後に首相にもなった)のインタビューをまとめた時、たっぷり時間をとったはずが、重複する部分を省くと、予定のページ数の半分にしかならなかった事があった。


その極端な例が、異例の長期政権を誇った某氏だった。
まだ首相になる前、その頭文字をとって、サッシ会社のような名称で呼ばれた3人組の改革派グループで活動して注目を集めた。その三人を人で座談会をやっていただいた時のことだ。
某氏以外の二人は、大変論理的で明晰な語り口で知られていた。実際、しゃべり言葉を少し直すだけで、筋の通った文章になる。
ところが元首相は違っていた。
話の脈絡や前後に関係なく、突然、大声でしゃべりはじめる。言いたいことだけを言いはなつと、唐突に黙る。
司会者や他のお二人はその都度、困ったような顔を見合わせ、話を元に戻す。
今から思えば、その場での某氏の発言は、後に彼が政権についてから行った様々な「改革」の基礎となるようなものだったが、何せ、他の出席者の発言と無関係でもお構いなしに吼えまくるから、できあがった速記録を見ると、完全に某氏の言葉だけが浮いていて、話が繋がらない。
じゃあ、その雰囲気をそのまま活字にすればいいじゃないかというわけにはいかない。表情や仕草も含めていろいろな情報を受け取るテレビの視聴者と、活字だけを頼りにロジカルに情報を読み取ろうとする読者とは、違う。
テレビの討論会ならば、某氏の「浮いている様」は一つの貴重な情報になるが、活字だけが勝負の雑誌誌面では、単に読者を混乱させるだけだ。
では、そういうケースでどうするかというと、話を繋げるため「創作」をする。座談会がスムーズに流れるように、「つなぎ」の言葉を作って入れるのだ。もちろん、好き勝手にやるわけじゃない。新聞や雑誌を漁って過去の発言を拾ってくるのだ。
できあがった記事は、もちろん出席者全員にチェックしていただく。幸い、たいした修正も入らず、記事になった。

その後、政権の座についた某氏は反対派を押し切って改革を実現させるため、解散に打って出た。その際、有名な演説をぶち、異例の大勝利をおさめた。知り合いにも、熱のこもった素晴らしい演説に感銘を受けたという人がはるかに多かった。
その演説を聞いていて、私が思ったのは、「これ、活字にすると原稿用紙1枚にもならないな」だった(雑誌でいえば1ページの3分の1くらい)。

おすすめしたいのは、テレビに登場する政治家の言葉を、ビジュアル含めた「勢い」ではなく、発した言葉そのものを、文章に直すという作業を脳内で行ってみることだ。
言葉の「勢い」や「ニュアンス」を再現するのではなく、論理的な意味の通った文章に直してみるといい。
充実した読み応えのある文章に直せない言葉しか発せられない政治家は、それだけで投票する対象から除外していいと思う(逆に、誰かの書き言葉【カンペ】を読んでるだけの政治家も)。



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