ある大投手の思い出

思い出話を一つ。


ずっと昔、「20世紀最高のピッチャー」と称された大選手を取材した事がある。
1984年、彼は西武ライオンズを最後に現役引退したが、200勝をあげつつ、200セーブを達成して救援投手の存在意義を知らしめ、オールスターでの9連続三振など、数々の伝説を作った大投手にもかかわらず、引退試合は催されなかった。スポーツ雑誌Numberの主催で「たった一人の引退式」が、東京郊外の草野球のスタジアムで開かれた。
それから10年後、彼は覚醒剤所持で逮捕され、実刑判決を受けたが、ほどなく仮釈放になった。当時、雑誌で「男の背中」というタイトルの連載をしていた高橋和幸カメラマンから、「たった一人の引退式」の球場で彼を撮影したいという希望があり、申し込んだところ、実現したのだ。


当日、自宅にお迎えに行くと、彼は弾けるような笑顔で挨拶し、上機嫌で車に乗りこんだ。世間では「こわもて」「一匹狼」「反逆児」というイメージで語られる事が多かったが、ハイヤーの運転手さんにも気を遣うなど、細やかな気配りの人だった。
スタジアムで撮影が終わり、短いインタビューとなった。話は、1971年、オールスターゲームで、有藤、長池、江藤といったパリーグの強打者相手に演じた9連続三振の話になった。
私が、9番目のバッター加藤秀司がファウルを打ち上げた時、打球を追おうとした田淵浩一捕手に「捕るな!」と叫んだそうですね、と訊ねた時だった。

上機嫌だった彼の顔色が、かすかに変わった。彼は呻くように言った。
そうじゃない。
あの時、怖かったんだ。

私は、そのオールスターゲームを見ていない。高名なスポーツライターの著作で知った。最後のバッターをファイルフライで仕留めるのではなく、きっちり三振に取りたいという野心が、そう叫ばせたんだという筆致だった。
だが、本人が語った、その時の心境は正反対だった。

あの時、スタジアムは異様な雰囲気だった。すべてのお客さんが、9連続三振を期待していた。逃げ出したかった。あのファウルフライは、どうせ追っても捕れないことは分かり切っていた。だから「追うな」と田淵に言った。さっさと次の投球に入らせてくれ、と言いたかったんだ。。。。

彼は、お酒が飲めない。現役時代は、試合が終わると、投球内容をノートに書き付けた。彼に救援投手転向を勧めた野村克也監督の下でプレーした際は、試合が終わった夜は、同じくお酒を飲まないノムさんの部屋を訊ね、明け方まで、その日の投球について語り合ったという。

豪放磊落なキャラで語られる事が多かったが、取材先まで運んでくれるハイヤーの運転手さんにも気を遣うほど、繊細すぎる神経が、あそこまでの実績を積み重ねた大投手にしたのだな、と思わされた。
全盛期のイチロー選手は、昼食はカレー、夕食は焼き肉のメニューを毎日続けたそうだ。パワーより、動体視力を含めた「敏感さ」で勝負した選手だけに、ちょっとした事で細かな身体の動きが普段と違うことを恐れたんだろう。

その後、幾人かのスポーツ選手に取材する機会があった。共通して感じさせられたのは、皆さん、臆病なまでに、自分のコンディションを保つ事に対して、繊細すぎるほど、繊細だという事だった。

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