先代・片岡仁左衛門さんのこと

1990年代の初め、所属していた雑誌で「男の背中」というグラビアの連載をしていた。カメラマンの高橋和幸さんから提案された企画で、3年くらい続いた。毎回、素晴らしい業績を積み上げてきた男性を、後ろから撮影するという趣向で、「男は背中で物を言う」を具体化した形だった。

第一回は政治家の後藤田正晴さんで、第二回は笠智衆さんだった。月に一度、現代の偉人たちの謦咳に触れるのは、今思えば貴重な体験だった。

先代の片岡仁左衛門さんにご登場いただいた事がある。当代の仁左衛門さんの父上で、1994年に90歳で亡くなった。

京都のご自宅で撮影をしたのは、確か亡くなる直前だった。すでに緑内障で失明され、身体も思うように動かない状態だった。

まず、客間でインタビューが行われた。最初の質問はなんだったか記憶にないが、仁左衛門さんは質問と関係なく、当たり役とされた『菅原伝授手習鑑』の菅原道真役について語り始めた。

我々の世代は、天皇陛下さまは神様ですと教わった世代ですからね。神様を演じるとなると、やはり心がけが違います。

それから、長々と「芸談」が続いた。2歳で初舞台を踏み、88年にわたって演じ続けてきた歌舞伎俳優の、貴重な言葉だったが、質問の主旨からどんどん離れていく。背を丸めた姿勢で、か細いお声で続く「芸談」に、正直、その時は(大変失礼ながら)「もうボケられたのかな」と案じたほどだった。

その後、ご自宅の玄関、格子戸の前で撮影が始まった。和服の着流し姿。格子戸を開けるような仕草で、カメラに背を向けた恰好だった。
「撮ります」
カメラマンがそう言って、カメラを構えた瞬間、あっと声が出そうになった。

すっと背筋を伸ばして立つ姿が、あまりにも美しかったからだ。

カメラマンがシャッターを切った。数メートル離れていて、その音が届いたかどうかも微妙だったが、その瞬間、仁左衛門さんは、少し足の位置を変えた。
その姿がまた、美しい、としか言いようがなかった。

その後、カメラマンがシャッターを切る度に、微妙に姿勢を変え続け、いずれも「絵」になっていた。

長年積み上げられてきた「芸」の凄みを、感じさせられた体験だった。

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