経済か安全か神話

今朝のワイドショーで、新型コロナ禍の、いわゆる文科会に経済学者等が加入した事について、感染症専門家だけの独立性の強い組織にしないと、「経済か安全か」の選択肢において、どうしても「経済」が優先される、という議論を展開していた。いつものように潔癖症の玉川徹が、接触を8割減らせのロックダウンしろの長広舌を振るっていて、頭が痛くなった。

なんで、そういう2分法になるのだろう?

ぼくは原則、PCR検査の拡充に賛成だ。なるべく多くの無症状感染者を発見して、きちんと隔離すべきだと考えている。そんな事をしたら、医療機関が大変になるというのなら、医療機関を増やせばいい。検査を多くしたら保健所が大変になるというなら、保健所を増やせばいい。医療機関を増やせば、例えば入院患者用のリネンサプライをやる業者や、食堂で働く人、清掃業の雇用も増える。保健所の人員を拡大しても同じ事が言える。いや、ちゃんと訓練された人員確保は難しいから、というのなら、中国や韓国に派遣してもらえばいいではないか。両国ともある程度感染を抑える事に成功していたから、暇になった医療従事者は多いはずだ。海外からの人材派遣の窓口をパソナが担当すれば、竹中平蔵も喜ぶし、新たな利権ができて官僚も喜ぶだろう。そうやって、「検査と隔離」が、うまく活溌な経済活動(新たな利権創出)と絡めていけばいいだけの話だ。

GoToキャンペーンも、私は原則賛成だ。しかし、感染が拡大している地域から、そうでない地域への移動だけは禁止すればいい(すでに書いた)。あるいは、キャンペーンの希望者にはPCR検査を義務づければいいだけの話だ。今の日本企業は内部留保を貯め込んでいるのだから、映画館や劇場、飲食店、観光施設、風俗産業が、感染症蔓延時に対応できるだけの設備を確保できるよう投資すればいい。グローバル経済において、世界的な感染症の流行は、抑える事なんかできやしない。SARSやMARSなど、間歇的に流行が発生している事を見れば、そんな事は明らかだ。水際で撃退できた過去の成功譚は、かえって今回の初期対応のまずさの引き金になった(逆に、韓国や台湾は、かつての失敗に学んで今回の成功に導いた)。

老朽化する日本のインフラを、グローバル時代の感染症対応型に整備しなおす事で、大規模な公共事業が生まれ、新たなビジネスも派生し、雇用も生まれ、日本経済再生のきっかけにすればいい。問題は、そういう大きな絵をかけるエリート人材が、決定的に不足している事実だ。

冒頭の「安全か経済か」2分法に戻る。「経済を回せ」と唱える連中の頭にあるのは「従来の既得権益や利権の保持」にすぎず、そんなもので経済は回らず衰退していく一方だというのが、ここ30年の教訓ではなかったか。いくら経済を回せと政府が煽っても、都会の住民への疑心暗鬼に捕らわれた地方人の猜疑の眼に、都会の住民も自粛せざるを得ない実情は、すでに明らかになった。従来のやり方で経済は回らないし、そもそも従来だって回ってなかったのは明らかだ。

とにかく、「経済か安全か」の2分法でしかコロナ対策を議論できない連中は、どっちも頭が悪いのだから、とっとと退場してほしい。まずは、医療、経済、都市計画、そしてコミニュケーションの専門家を集め(数人でいい。数が多すぎると現在の文科会みたいに身動きが取れなくなるのは、パーキンソンの法則に照らせば明らか)、全権を委任し、行政は情報提供含めてバックアップすればいい。そして、司令塔の役割を負う1人が、毎日のようにブリーフィングに出て、状況を説明する。

ある政治ジャーナリストが、コロナ対策は地方自治体に任せ、中央政府は資金面でバックアップすればいいと言ってたけれど、非常時にそんなバカな話があるわけない(太平洋戦争で、陸海軍がバラバラに戦った顛末を忘れたのか)。今だって、目立つ事優先自分ファーストの(辻政信のような)知事たちが、混乱を深めてるだけだ。




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