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芸能人の作り方

「5社」
それが私の1年間の努力の結果だった。

2013年、私は就職せずに、「芸能人になろっと」と思って芸能のスクールに入学した。

そのきっかけとなった出来事はこちら


入学したスクールのシステムは、1年間レッスンを受け、2014年の年度末に100社以上の芸能事務所の人の前で、一芸を披露するデビューオーディションを受けられるというものだった。
一芸というのはバラを咥えて裸で三点倒立とかそういうことじゃなくて、例えばモデルになりたい人だったら美しいウォーキング、お芝居を中心にやりたい人なら1分で一人芝居。
そして名簿の中から芸能事務所の人が気になった子に「✔︎」をつけていく、というようなシステムだ。
まあもちろん、面談してみてダメだったら所属することはできないのだが。

「100社以上から声がかかることも!」
なんていうのがウリ文句で、「選ばれる側から選ぶ側へ」なんて書いてあったものだから、「なるほどね〜」なんて、自分も100社とは言わずともまあまあ、どうにかこうにかなるだろ。とは思っていた。
私が入学したのはモデル&タレントコース。今思えば欲張りすぎてて草…と冷静に思うんだけど、当初はな〜んとも思っていなかった。私のクラスは女の子だけで15人くらいだった。

週3回行くレッスンの中に、「ボディメイク」という授業があった。もちろん運動や食事やダイエットのことなどを教えてくれるのだが、「まずは意識を変えないとダイエットも始まらない」という考えの先生だった。
「あんたは何になりたいの?」「何のために痩せたいの?」「人間変わりなさい」
と、1年間死ぬほど詰められた。
この先生のことがあんまり好きじゃなかったから、私は結果的にさして人間変わることもできなかった。
入学書類の入学の条件、みたいなところに「生徒が授業をきっかけに死亡することがあってもいかなる責任も負わない」のようなことが書いてあったけど、このこと???と思うくらい、この授業はキツかった。過呼吸になって救急車で運ばれる子もいたし、泣き出す子なんて毎回ザラにいた。
幸か不幸か、私は痩せている方だったので、体型については毎回特に言及されなかったけれど、中身についてはめちゃくちゃ言われていた。めちゃくちゃ言われていたというか、あまり興味を持たれていなかったという方が正しいかもしれない。まあ、好かれてなかったというか、ウマが合わなかったんだろう。

ある日の授業の中で、「あなたたちがデビューオーディションの審査員。このクラスの中で二人だけ自分の事務所に所属する人を選べるとしたら誰を選ぶ?
なんていう、肝が冷える回があった。このクラスに亀裂を入れたいのか?というお題だった。
そこで、なんと先生が大のお気に入りの女の子がなんと私のことを指名してくれたのだ。
一人一人に「なんでそう思うの?いいね〜!」なんて聞いてたけど、私が指名された時だけ「ふ〜ん」みたいな、本当に面白くなさそうな顔をしていた。今、先生がお気に入りだったあの子、マルチにハマっちゃってるよ。「あんたはマルチにハマりそうだから気をつけて」とか、そういうとこもちゃんと言及してあげてよね。なんて、嫌味も言いたくなる。もちろんその子に選んでもらえたことは嬉しかったけどね。

「事務所に入った後じゃ”本当のこと”なんて誰も教えてくれないんだよ〜?」

なんて毎回言われていたけれど、私は正直「うるせー」くらいに思っていた。
うるせー、とは思ってたけど、内心「事務所に入ればどうにかなるっしょ」くらいの甘い気持ちでいた。

なんていうか、私は好きな人以外に嫌なことを言われても、良くも悪くも響かないのだ。ネットに悪口を書かれていても「誰やねん」と思うし、「ブス」とか書かれていても「ネット弁慶乙」としか思えない。
もちろん友達に悪口を言われていたらめちゃくちゃショックだし、「こういうところ直した方がいいよ」と言われたら全力で直すし反省する。
けども、尊敬してるわけでもない、好きでもない人に、ここを直しなさい変わりなさい、とか言われても、当時20歳そこそこだった私はツーンと跳ね除けていたのだ。もしかしたら自分で心を守る防御だったのかもしれないけれど。

デビューオーディション前の最後のレッスンの日。
先生から、「1年間を通して本当のことを一人一人に伝える」と言う授業内容だった。この時クラスメイトは、10人くらいに減っていたような気がする。
「本当はこの1年間、もっと言いたいこともあったけど、授業のモチベーションを保たせるためと、あなたたちの性格的に言えないこともあった」とのことだった。

私が先生からもらった言葉最後の言葉は、

かほ、あなたはね、本当に普通。芸能なんて程遠い。中身もビジュアルも本当に普通。変わりなさい

だった。
最後の最後まで普通変われと言われていた。
しかしながら、なんとこの時もまだ全然響いていなかった。先生の見る目がないだけで事務所に入ればどうにかなるっしょ!と、芸能を目指すほとんどの人が考える甘いことを思っていた。さようなら先生。

そして迎えたデビューオーディションの日。
自分の演目をそつなくこなし、「やっと終わった」と思った。

この時の私は、「ありのままの私を」「わかる人だけがわかってくれる私を」「ボチボチ努力している私を」愛してほしい、応援してほしい。
テレビに出してほしい、雑誌に出してほしい。そんな風に思っていた。

死ぬほどの努力はしてないけど、ありのままの私をわかってくれる事務所がきっといるはず。
そんな風に安易に考えていた私を指名してくれた事務所はたったの5社だった。心の内って、透けてバレているのだ、きっとすべて。

「履歴書貧乏になっちゃう」「宣材の写真印刷貧乏もね」「自分の名前見つけきれるかな」「フフフ…」

デビューオーディションの1次審査発表の日。
そんな声が周りからたくさん聞こえて、高校の合格発表みたいにホワイトボードに貼られた名前一覧を見て、何度も何度も自分の名前を探したけれど、私の名前は5社分しか書かれていなかった。

私の前を泣きながら走って外に飛び出していった子がいた。
その子の名前はホワイトボードのどこにもなかった。


その5社のうちの無名の1社に所属することになるのだけれども、「ありのままの私を応援してくれる人などいない」というのが芸能を10年やった感想だ。
「ありのままを応援してほしい」と思うのは、努力を怠るための理由だと思う。
あんなに美味しい野菜だって、商品棚に陳列されるには基準ある美しさが必要なのに、そして陳列された後にもキズがないものが選ばれると言うのに。
なぜ大した努力もしていない自分が、「うちの子どうですか」と、クライアントの前に陳列してもらえると思ったのだろう。

「気づいたらスカウトで大手の事務所に所属していて、朝ドラに出てました」なんていう芸能エリートでない限り、整形とダイエットをして街で振り向かれるようなビジュアルになる。人があっと驚くような特技を身につける。誰もやっていないようなニッチな趣味を見つけてSNSで毎日発信する、なんていう、血の滲むような努力が必要なのだ。もちろん第一線で活躍している人も毎日努力をしている。

オーディションの時間は一瞬である。
「この子驚くほど可愛いな」「この特技テレビでやらせたらバカウケそうだな」
審査員に、たったの5分でそう思ってもらわなければならない。

「私、面白いって言われるんですぅ〜」
「どこが?」
「性格が…」
「性格のどこ?」
「…」

オーディションでこうなってしまうのが、ありのままの自分で芸能やっていこう!としている人の関の山だろう。まあ10年前の私のことなんだけど。

私も、なにひとつとして武器を持っていなかった。
何も持っていなかったから、探して探して探して探して、今日もこうして文章を書いている。
きっとボディメイクの先生は、在学中にこうあるべきだと思ってたんだろう。

「永瀬さん可愛いから雑誌に出演してほしい」「永瀬さんお芝居上手だから僕のドラマに出てほしい」「おしゃべり上手いからバラエティに出て欲しい」
なんて、一度も言われたことがない。

そんな私が唯一ギャランティをいただいて、「永瀬さんに」と、オファーをもらえるのがこの文章の仕事だ。

もしも私がめちゃくちゃ可愛くて、お芝居がうまくて、喋りのセンスもあって、1000年に1度の美少女だったら、「文章を書こう」なんて思わなかったかもしれない。
だからきっと、回り道しても芸能は面白い。

ボディメイクの先生〜!
今なら先生が言ってたこと、ちょっとだけわかる気がするよ。先生が言ってた「普通」の正体がなんなのか。「変われ」って、どういう意味だったのか。

こんな恥ずかしい過去のことを書いていることが恥ずかしいけれど、この記事を以て、「私の普通じゃないところ」にしてもいいですか。

おしまい

※偉そうなことたくさん言ったけど、個人の感想です



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