風評被害への怒り
私は怒っている。
自分で言うのもなんだけど、割と受け入れる方だ。「そういう考えもあるよね、そういう価値観もあるよね」と。一人一人の考え、価値観を否定するのは避けてきた。
もちろん、それは、個人的な信条と同時に、立場をわきまえているからでもある。
やっている事業の責任者だ、インフラ企業を目指しているからこそ「敵はできるだけ作らないほうがいい」と考える。だからこそ、様々な理不尽にも無言を貫いたり、できるだけ譲り、我慢することが美学だとすら思っていた。
常に、自分の持ちうる忍耐力を最大発揮し、それを鍛えて、穏便派スタンス、人の噂も75日など、ポジティブに対処してきたほうだと思う。
でも、そのスタンスは、時に誤解を生むのだ。
それは、変な噂を流されたとき、風評被害を受けたとき。
「火のないところに煙は立たない」という言葉があるので、疑われた方にも非があり、反省すべきではないか、というニュアンスだと思う。
でも、果たしてそれは、現代でもそうなのか?
私は違うと思う。
なぜなら、そもそも風評被害の構造は、極めて不公平だ。
言いがかりをつける方にはリスクはほとんどないからだ。
その理不尽な構造が出来上がる、その理由は大きく二つある
まず一つは、
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