喜びの歌〜ただ幸せだと言うためだけのブログ〜

ここ最近、ずっと幸せだ。

体が疲れたとか、眠いとか生理的な不快感はあるけれど、ベースが幸せというか、基本幸せ。

穏やか。

気持ちいい。

ふあ〜ってする。平和ボケっやつかな。



それでね、幸せだと

今までと同じやり方では

もうブログ、書けないなと思った。


ブログに限らず、SNSの発信って

問題の解決法を提示したり

問題と向き合う過程を開示したり

問題を提起したりする投稿が多い。


ほとんどが、問題に関することや

ここではないどこか

つまり、向上を目指すことについて書かれている。



どこにも行かない

何も目指さない

ただ、幸せなことを「幸せだ〜」と書いているブログって

なかなか見かけないなと思った。



でね、ある人にこのことを話したら

「何も問題がなくなったら、発信することも、発信したいっていう気持ちもなくなるんじゃない?」

的なことを言われた。


確かにそうかもしれない。



実際に、私は何かを伝えたい!

こういうメッセージを発信したい!

っていう気持ちはほとんどなくて。




だからもう、中身のあるブログは書けないと思う。





でも、出したい何かが自分の中にあってね。

(実際今もこうやって書いているわけだし)



これは何だろう?

私は何を出したいんだろう?って探ってみたら

歌だった。




嬉しいときに自然と出てくる鼻歌のような

鳥がさえずっているときのような

歌。



意味はない

伝えたいメッセージもない。


ただ、溢れるから自然と出てくる

歌。

音。




たぶん、鳥たちは

問題がらあるからさえずっているのではないと思う。


私から見たら、お天気がいい日に

気持ちいいから鳴いているように見える。


もっというと

彼らは気持ちいいとか

嬉しいとかすらも

思ってないかもしれない。



彼らの中にただ

メロディーが存在するから

出しているだけかもしれない。


ただ命に従っているだけかもしれない。




でも、その命に従うっていうことこそが

至福であり

アーナンダ  歓喜

なんだと感じる。







幸せそのものだ。







歌うような文章が書きたい。








私は、もう意味のあることも

ためになることも書けないけれど、


ただ、幸せだ〜幸せだ〜って

ピーチクパーチク歌うだけの

起承転結もドラマもない

誰に需要があるんだろう?というような

文章をぽつぽつと書いていきたいなと思う。




でも、きっと

私の感じているこの感覚は

生き物として

自然界のリズムとして

とてもナチュラルなことなんじゃないかな。


あぁ幸だ〜と浸っていると

自分だけでは幸福感を抱えきれなくなり

どこかに放出したくなるんだ。




だから、この場を借りて歌わせてください。



ため息にも似た

ただの放出ブログ。

他人から見たらただの自己満足ブログ(笑)




こうやって自由に書かせてもらえる場所があって

よかったなぁ…(*´ω`*)ホッ

と思います。
















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