これまでの二十数年を今すぐドブに捨ててしまいたい

「かほ」っていう人格は、こんなことを書くために生み出したものではないはずなのに、その人格すらも破綻させてしまうほど頭がぐちゃぐちゃになってしまった。
生理のせいかもしれない。いや、違うことは自分が一番よく分かってる。

初めて好きになったのは私がまだ五歳かそこらの時でした。
彼を見た時、「私この人好き」と言ったことはもう忘れてしまったけれど、私が何かを好きだと言うことはとても珍しかったので、母がその人について調べて、その人の載っている雑誌を買ってきてくれました。

その人はいつもテレビの向こうで笑っていて、いつも誰かにつっこまれていました。
まだ小学生だった彼が、中学生、高校生になっていく中で、私も小学生、中学生になっていって、彼みたいな人は私の生きる、このクソみたいな社会には存在していないことを知りました。
進学先に女子校を選ぶ程度に歪んだ私の男性嫌悪と反比例するように、彼のことはどんどん好きになっていきました。
アルバイトすることで、お金が手に入り、際限なく彼に費やせるようになったことも、とても大きかったと思います。

彼はずっと、その組織の中では影の存在で、同じく影の存在なグループのとある二人がやっていたラジオに準レギュラー並みに出演しては、自分たちに光が当たらないことについて愚痴っていました。
私がラジオを好きになったきっかけが芸人じゃなくてごめんなさい。

ある日、彼に脚光が浴びるようになって、私は寂しさよりも嬉しさの方が大きかったです。
今まで全く苦労せずに取れていた舞台のチケットに初めて落選した時、悲しかったけどそれ以上に嬉しかったです。
あの涙は悔し涙や悲し涙ではなくて、嬉し涙でした。そんな自分が好きです。

人生最高の思い出である、あなたとしたラジオでの会話を私は一秒も忘れずに今日まで生きてきました。
「これからも好きでいてくれるよね」に対して「はい」と答えた私に、笑ってくれたよね本当にありがとう。

大好きでした。

20代になってからは私の人生が忙しくなってしまって、あなたはどんどん遠い存在になってしまって、もう最後にあなたをこの目で見たのは5年も前になってしまいました。
もっと、会いに行けば良かったと思う気持ちと、あそこで費やすお金がストップして良かったという気持ち、二つが複雑に交錯しています。

「私、ファンを傷つけない人しか推さないよ」

3年ほど前、仲良くしてる後輩に、「かほさんの推しは誰も不祥事起こしませんよね」と言われた時にドヤりながら言ったこと、今ここで撤回させてほしいです。
いや、厳密に言うと、私は推しを間違えたのではなく、組織をきちんと見ていなかったのです。

吐きそう。はきそうだ。

五月末にそのニュースを耳にした時の胃液が胸に上がってくる感じが忘れられません。

その日からゆっくりゆっくり、準備して、そして私はこの間の意味のわからない、何も成し得なかった会見を見て、涙を流しながら、この三ヶ月間で時間をかけて閉じていった思い出たちを胸の奥の奥の奥の方に仕舞い込んだのです。

彼のことは愛してるけど、彼を彼たらしめるものが受け入れられなかった。
そして、私が受け入れられないソレらを彼が心底愛している。

頭がおかしくなりそうだ。

昨日も今日も明日も明後日も、きっと五年後も十年後も私は彼のことを愛しているけれど、もう彼にお金を使ったり、彼のために行動することはないだろう。

私にとってはそのくらい、無理な出来事でした。

大丈夫ついてきていいよとあなたは言ったけれど、何も大丈夫ではないし、そうじゃなくて、あなたはそこを離れないといけないよ。

どうかいつかまた、私があなたにお金を使える日が来ますように。

その手段が全く断たれたとも、思ってないです。

例えばあなたがその組織から離れてくれたらそれが一番私にとっては嬉しい。

例えば組織のトップがきちんとした形で変更されて、名前が変わって、これからどんな救済措置を行うのか具体的な話があって、その全てに納得できたら、私はきっとまた、あなたのことを応援すると思います。

だけど今はもうむり。

閉じなければならない思い出の一つに中学と高校時代の私の日記がありました。あなたの写真をオリジナルでシールにして貼っていました。
あなたのことを応援して、支えたと言う事実の全てをしっかり胸と体と頭に刻んで自傷しないと苦しくなったから。

あの頃の私は、あなたが全てだったんだと鮮明に思い出しました。

あなたの出演したラジオを録音するために、4万かけて録音機器を買い、その録音したラジオを毎日聴きながら登校していました。
あなたの載っている雑誌を全て買い占めるために毎月3万円かけてました。
高校生の私にとっては大金でしたが、惜しくなかったです。
初めて主演した映画のインタビューで「ようやくここまで来れました」と言ってましたね。
その時私は本気で「いや、こんなところで終わらせないよ!」なんて思ってました。
こんな日が来るなんておもってなかったから。

日記に毎日のように書いてました。
「はやくしにたい。でも、明日も声が聞けると思えばギリ生きられる」

あの頃の私はあなたに生かされてました。
大嫌いな家族、さほど好きじゃない友達、気持ち悪い地元、毎日遭う痴漢、退屈な毎日。

でも大好きなあなたが一人いれば、それだけが生きる理由になりました。

あなたが結婚した時も、私はちゃんと準備してたから幸せに祝えた。
いつだって傷つく前に準備してここまで来たから、今回も準備してゆっくりアルバムを閉じることができるんだよ。

本当に本当にありがとう。

私があなたを応援してきた二十数年間、あなたもまた、幸せだったのなら良いのだけど。

そうじゃないかもしれないなんて、私、もう生きていたくない。

生きていたくなくても、生きる理由がこの世界にはたくさん出来てしまったよ。
あなたがいなくても生きていけるようになったことはきっと幸せなことですね。

今までありがとうございました。
また会う日まで、どうか、お元気で。

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