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でんぐり返し

21歳最後の日。

「まだ22歳になる心の準備できてないなぁ」なんて思いながら、頭に浮かんだコトを綴ってみる。


21さい

島の魅力に気付いた、12月。
空港でたくさん働いた、1月。
ファーストラブを釧路で一気見した、2月。

大好きな仲間たちと駆け抜けた、3月。
1限のしんどさを思い出した、4月。
ちょっとだけ自炊を頑張った、5月。

英語の勉強に追われた、6月。
初めて牛タンを食べた、7月。
オーストラリアで色んな経験をした、8月。

文章を書く楽しさにワクワクした、9月。
家族のあたたかさに触れた、10月。
就活を始めてみた、11月。

色んな出来事、色んな出会いがあった中で
自分とたくさん向き合った。
他人ともたくさん向き合った。

そして、自分の人生の軸が「ヒト」であることを改めて確信した、そんな21歳。


ヒト

今年の夏、大好きな人が亡くなった。

私に「あたたかさ」を教えてくれた人。

彼女がつくるモノは全てがあたたかくて、愛に溢れていた。

料理も、刺繍も、お手紙も。
全部ぜんぶ、あったかかった。

「コロナが落ち着いたら会いに行くね」と伝えてから3年。

ずっといるような気がして
いつでも会えるような気がして

お金がない、とか
時間がない、とか

色んな理由をこじつけては、「いつか」と先延ばしにしてしまっていた。

「会いたい人がいる」って、幸せなこと。
「会いたい人に会える」って、もっと幸せなこと。

「いつか」が来る保証なんてどこにもない。

だから、どんなに時間とお金をかけてでも、会いたい人には会える時に会いに行こう、と強く誓った。

「全ての出会いには意味があるから、ご縁は大切にしなさい」

彼女がよく口にしてた言葉のひとつ。
大人になって、理解できるようになった。

だから、よっぽどのことがない限り、少しでも自分の人生に携わってくれた人とのご縁はずっと大切にしていきたいし、

その人たちの人生に何かをもたらせる人でありたいな、と思う。

私にとっての彼女みたいに。


受け入れる

そのために、22歳をどう過ごそうか。

今の自分に一番必要なことって何だろう?って考えた時に、真っ先に浮かんだのが「受け入れること」だった。

呆れるくらい不器用な私は、とにかくたくさん転ぶ。
何にもない平坦な道ですら、何度も躓いては立ち止まる。

ハタチになれば、大人になれば、自然と転ばなくなるもんだと思っていた10代の私へ。

残念なことに、現実はそう甘くないみたい。笑

あまり転ばずに走り続けられる人、要領よく生きられる器用な人に対する羨望の念は消えないし、「自分もそうなりたい」って思うコトもあるけれど、


自己肯定感が低い人ほど、自分への期待値が大きい。
自分はもっと出来るはず、という幻想を抱いているが故に「理想の自分」と「現実の自分」のギャップに苦しむことになる。


とあるエッセイ本に綴られていた言葉が、ビックリするくらい腑に落ちて。

私はまだ心のどこかで、自分に過度な期待を寄せてるんだなって。

だから22歳は、相変わらず転んでばっかりの、ダサくて不器用な自分も受け入れてみようかなと。

もちろん、向上心は捨てない。
なりたい自分になるための努力はこれからも続けていくけれど

なかなか結果が出なくても、何もかも上手くいかなくても、「まぁいっか」と受け入れる。そして笑い話にする。


「もっとああすれば良かった」「あんなことしなきゃ良かった」っていう後悔の念に襲われても、

「その時の自分には、それが精一杯だった」

そう思うことで、過去の自分も受け入れる。
反省や改善は大事だけど、終わりのない自己嫌悪に陥らないようにする。

それが、今の自分に必要なコトだと思う。

きっと、22歳もたくさん転ぶだろうけど
どうせ転ぶなら前に転んで、起き上がるときに何か拾えたら大満足。

そしてありがたいことに、私の周りには「ま〜た転んだのかい、よしよし」と笑いながら受け止めてくれる最高に温かい、大好きなヒトたちが沢山いるので

(みなさんいつもありがとう)

その環境に感謝して、頼りにさせてもらって
「まぁいっか!」と笑い話にしながら、22歳も不器用なりに生きてみます。

もちろん起き上がった時に、たくさん恩を返すことは忘れずに、ね。

まだまだ未熟な私ですが
22歳も何卒よろしくお願いします :)

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