ミサンドリーをやめたい

男性が嫌い。

女の子より可愛くないし、粗野でデリカシーに欠けてるし大抵私の大切なものを分かってくれないから。
男だから嫌いと言うより、女じゃないから嫌い。

数年前はこんなことなかった。ちやほやされたら嬉しかったし普通にモテてえ〜と思っていた。
でもそのちやほやも所詮性欲由来とか女の子には優しくするべきみたいな社会規範由来で別に私じゃなくていいし、女という属性ありきで見られるのが嫌になった。
女子大に入ってその感覚はさらに強化された。女じゃなくて人間として息ができるし、かっこいいって言って貰えることが増えた。小柄で童顔だからかわいいって言われがちだけど、私の絵とか性格とかを踏まえてかっこいいって思ってくれるのが心地いい。

女の子の方が好きになればなるほど男性を嫌いになる。ミサンドリーの自覚がある。社会で生きていく上で男性と接しないなんて無理だし、自称フェミニストミサンドリーに堕ちるほどは愚かじゃない。どうして自分は女の子の方が好きだからって男性の方を嫌いになっちゃうんだろう。どうしてインターネットの女性の性被害告発とか見て安心するんだろう。私は痴漢とかレイプとかされたことないのに、他の誰かに加害した男性の存在に憤り、個人の被害を女性はみんなこんな被害に遭ってるんだと拡大解釈し、男性を憎んでいる。憎める事例があることに安心する。そんなの私にとっては仮想敵に過ぎないのに。私の周りの男性は全く善良なのに。男性はみんな悪だと信じたい自分に心底ぞっとしてこの文章を書いている。

私はどうしてこんなに男性を嫌いたいんだ?なぜ?と掘り下げて掘り下げて、言い訳めいた経験を思い出して書いてみる。
小学生の頃の通学路は、周りに田んぼしかない農道一本道。周辺に田んぼを持っている人と通学路として使っている小学生しか通らない。私は頭ばっかり良くて性格が最悪だったので、クラスでも登校班でもよくハブられたりいじめられていた。
その日も私は同級生の女の子たちにはハブられ、一人で先の方を歩いていた。後ろには上級生の男の子たち。「こっち向けよ!」としつこく後ろから呼びかけられ、本当にしつこいので仕方なく後ろを向いたら、彼らは股間を出しているようだった(目が悪かったのでよく見えなかったが、彼らのポーズと反応でそうらしいことがわかった)。「アイツ俺らのチ〇コ見たぞ!!」とゲラゲラ笑う男子たち。実際よく見えなかったし、股間を見せられたということに関しては特に何とも思っていなかった。
のだが、今現在こうして思い出しているということは、ショックだったのでは?と思った。やってることは露出狂と同じだし、性被害じゃん!と。でも私のショックは多分そこじゃないと結論を出した。
私を貶めるのに、「エロいこと」という手段を取られたのがショックだった。男をいじめる時は、彼らは股間を出したりしないだろう(逆に被虐対象の方を脱がせるかもしれないが)(私自身のミサンドリーと向き合う話なので男性同士のあれこれは無視することにする)。「女だから股間を見せたら恥ずかしがったり嫌な気持ちになるはず」と思われたことが嫌だった。自らの女性性への嫌悪。
前述の通り私は男女問わず煙たがられていたけど、女のやるいじめは男でも女でもつらいやつだったから、女に対して恨みは全くない。でも彼らは私をいじめるのに、私が女で、向こうが男であることを利用した。私はずっとそこに引っ掛かりを覚えているし、成長してからの男性経験がこの喉に引っ掛かった小骨を大きくさせた。
男性と対峙すると相対的に自分が女だと自覚せざるを得ない。それがとてもつらい。

私は今現在レズビアン寄りのバイセクシャルだと思っている。だけど恋人は男性だ。自分が全くのストレートだと信じて疑わなかった時に出会って、そのまま付き合っている。自分がレズビアン寄りだと自覚しても、彼のことは大切だし愛しているし、最近自覚したセクシャリティを理由に彼と別れることはない。
だけど、彼といるおかげで無闇にモテたりしなくて済むとか、このまま結婚できれば恋愛市場からさっさと撤退できるなと考えたりする。
でもそんなのって、男性と対峙すると自分が女だと自覚させられる〜とかいうより、私が一番男とか女とか気にしすぎてるだけ。それを全部男性のせいにしてるだけ。どうにか善良な男性とだけ出会って男性とフラットに付き合えるようになりたい。本当はそう思ってる。私の方こそ、男性を真っ直ぐ人間として見られなくて申し訳ない。申し訳ないです。中盤の他責からちょっと急展開すぎるけど文章を書くとハイになってしまいますね…。
しょうもない懺悔を読んでくれた人、ありがとうございます。

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