ジョシジョシ。

 いじわるコミュニケーションの本、熱心に読んでいたTwitter垢の人がまた熱心に読んでいる。10歳の女子がいよいよその年頃で、役員で学校に出入りし児童たちの様子にも詳しく、具体例と論説文の答え合わせをしているようだ。
 Mに聞くとアタシチャンは悩むほどいじわるされたことはないなあと言う。ドロドロはしてなかったけど、同級生の自分勝手だったり理不尽な振る舞いに憤ってはいたからそれなりにいじコミは目の当たりにしていたように思う。
 ドロドロはLの学年の女子であったことは聞いている。ちなみに同じ頃男子のLは分かりやすくギャングエイジだった。
 Mの小学校での担任は女性のベテランだったが、Mはよく先生に相談に行っていてエムチャンはジョシジョシした女子が苦手なのかな?などと言われていた。我々の中ではつまり、外交手段としていじコミを行う女子はジョシジョシした女子と呼ばれていたのである。いじコミという言葉がKん家に上陸する前から既に定義されていた概念だ。
 女子3人組のパワーバランス抗争については、Mの場合保育園ですでに済んでいて3人目はしょっちゅう入れ替わっていたが、Mともう1人の2人組がずっと固定でなんと中2の今でも仲がいい。鬼門の小3、小4でその子と同じクラスになり担任が心配するほど2人はべったりだったという。だもんでそこに誰かが入れるわけもなくて3人組のなにやらはなかった。
 ちなみにLの学年のドロドロは女子3人組だったそうで、その年頃の3人組のパワーバランス抗争は確かにあった。
 Kの観測範囲でも不穏なことはあったがMがその都度ヤイヤイ言ってくるのでどうにも親では埒が明かないことは先生に話に行かせた。先生も話は聞いてくれるけどあの子はそういう子なのだからほっとけばいいんだにに帰結し、本当にほっとけば丸く収まった。
 ジャブのようないじわるにいちいち正論で返すのはMの場合デフォルトで、いじコミではこの子と円滑なコミュニケーションが取れないと相手が気づけば巻き込まれない(ほっとけばいいんだに)。コミュニケーション不全に気づかず、いじコミをゴリ押しすればそれはイジメにつながる。
 Twitterの人はこれまでも子どもがいじわるされたのでいよいよいじコミが本格化する10歳に畏れを抱いているのだろう。しかしながら、学校に出入りして子どもたちみんな顔見知りって明らかに親が威圧(介入)してる。いじコミにアンチなようでいじコミありきの社会で優位に立とうとして、一番あざとい気がする。
 マウント取ったり約束忘れたりして、いじわるで報復されるってのはどの年齢でもあると思う。で、相手より自分が上であるという表現でいじわるをするのがいじコミであって、これとはまた違うのではないか。派閥の抗争って足の引っ張り合いだもんでやらかして悪口言われるならまだ良くて、やらかしネタが尽きたあとどうにかして悪口を錬成し始めるところからがいじコミなんじゃないか。
 友だちの愚痴を言っているうちに愚痴を言うことが目的になってしまうことはないだろうか。Kはある。それで外交やる方の病を書籍は説いている。