宿題くらいやれよ?

 小学校の宿題はあってもなくても別にどっちでもいいんだけど、家庭学習のきっかけにはなるから全く!不要!派は家庭学習のきっかけをどう作るのか興味はある。Kん家はそれは家で勉強する動機付けとしてあるな、と思っていたから、なかったら自分でなんか用意してやらせるようなことをしたかもしれないが、宿題では足りない人びとを育てていたので買いに行くのもめんどうになり、ポピーを取ったのだった。
 Kは宿題賛成とは言えるけどどっちかっていうと家庭学習をさせたい考えなので、提出することに重きを置きすぎなのはちょっとダルいかもしれない。動機付けなんだし。Lはマジメに出していたけど、たまに先生がプリントを配り忘れているときには、思い出さないうちに逃亡(下校)するくらいには宿題イラネと思っていたようだ。先生が忘れていてもおれは覚えているもんで(テレパシーで伝わってしまうかもしれぬ)ダッシュで帰って来るんだとか言っていたような気がする。
 Kん家の場合、宿題は瞬殺で、ポピーをやってだいたい1日1~2時間勉強してあとは遊んでた。プリントはすぐ終わるけど漢字練習は時間はある程度はかかるし提出を義務付けられてるしダルい。
 漢字練習と並んでダルいのは計算ドリル、実力に対して簡単すぎる方の視点から宿題ダル~はネタが上がる。
 逆に、宿題が難しい子の話も聞く。毎日2時間以上かかって、夜遅くまでかかるとか生活に影響がある方が深刻で、宿題ダル~どころの話ではない。これは先生に相談すると緩和してくれるらしい。担任によるのかな。Kはそっち側じゃないから知らないけど、貯まってしまった分は免除、今日から少しずつ進めようみたいな措置があるとか。
 学校の課題が簡単すぎる子は自分で調整するし、難しい子は先生に相談すればよくてこの辺はマジメに提出しようという気があるからマシで、中庸の学校の課題がちょうどいい層が宿題イラネとか言ってるようなイメージがあって、そこ勢が宿題免除ズルイズルイとと言っているなと。
 教員のtweetとか見ていると中が合っているよりどうやら提出することが大事みたいでそれなら一律の宿題ってどうなの?とは思う。学年×10分+10分の勉強になるくらいの量が宿題なんじゃないんかい?と思っているので、本当は量とレベルは人によるのが正解ではないか。
 Lが小1の時、ママ友とあのクラスは宿題がプリント1枚多いらしい、どのクラスも同じにして欲しいよねとか会話したことがあって、当時は担任によって学習量に差が出るのはちょっとなとは思っていた。学齢期の保護者としてはまだまだだったなと今思う。
 だが公立校なんだから宿題の量は公平にしろや、担任の裁量で決めんなは通る話ではないだろうか。
 まあ量的な公平と質的な公平はなかなか両立しないだろうなあとは思う、成績でクラス分けしない限り(塾の仕事ですかね)。あいつ宿題少なくてズルいと言うのはともかく、追加の教材費が嵩むんですがって不満もあるんだがあまり聞いてもらえない。こっちは提出至上主義とは袂を分けて学力向上を目指していて論点が違うからしょうがない。
 お門違いじゃね?と思うのが不登校親垢が宿題は不登校の親の心を削るナイフとか言って、教員垢の宿題を出しなよ(提出至上主義)という趣旨のtweetに噛みついていたこと。学校に行かない、家庭で勉強もしていない、それでよしとするんなら、提出至上主義とも学力向上派とも違う。おたくに宿題出せとはたぶん誰も言ってない。
 学校行ったり宿題するだけで心が死ぬってのは、相当自分の興味のあることだけをやるだけの人生にこだわる結果だと思うんだけど、勉強を放棄しても生きてるだけで家事は発生して(Lは家事は一切やらないけど)学校のことは最低限やってて、その上で好きなことしかやらないのを見ているとやりたくないこと興味の湧かないことをやる時間も人生の何割かを必ず占めるのが真理だと改めて感じ入る。
 不登校側は来ないならもういいよ、って言われないことが分かっているから宿題は不登校の親(親かよ)心を削るとか言ってられるんだろうなあと。
 社会に出れば納期があるよとか約束を守らないと仕事にならないよその訓練が宿題だという説がTwitterではアツイけど、普通に次の授業までにここを出来るようになっておいてねというのが宿題なんじゃないの。社会に出て宿題って言われるのは、ここのデータ次の会議までまとめておいてとか、ある程度持ち帰って今回のまとめか次の準備のことを言う。会議のその場、工場の作業場に手ぶらで現れては仕事にならないよ。提出期限を守ることにフォーカスすると、大人の社会はそんなに毎日締め切りはない!とか先生から一方的な約束なんか知らない!とかへりくつを呼ぶけど、あなたは会議に手ぶらで行くんですか?と言えば宿題の在り方が腑に落ちると思うんだが。
 高校から宿題の在り方は大人の社会のそれになって、宿題やらない!が学校や先生を困らせるものから自分が困ることにシフトする。だもんで宿題が重い子には減らしたりしてでも提出をさせる、社会に出る訓練だと言うならここまで言った方がいい。
 真意がここにあるから、まずは提出することに重きが置かれるのか。
 しかし学校の先生は先生との約束だよ!約束守れよと言うばかりで、それは反宿題派(不登校含む)から前述のへりくつを誘発するし、なんかいつもカオス。
 へりくつ言ってないでやればいいのに。


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