ととのうシナモン

 ミステリと言う勿れの映画を観に行った。本放送は最終回だけ見てしまった最初から見れば良かったとMと後悔にもんどりうって1年半、映画公開前の再放送を待ちわび、視聴したのがこの夏休み。
 見ているとLが、あれこれは…と言うので再放送を録画したのを見ているのだよと答えるとおお、おれが受験だったから見なかったやつかと言うのでそうだね、と答えたがひとつ前の冬の月9だった。上の空にも程がある。
 ハヤブサ消防団とVIVANTと、ミステリーがひしめく夏ドラマに再放送のミステリと言う勿れが盛られ、謎が謎呼ぶミステリー。
 映画のグッズにはシナモロールがととのうくんのもじゃもじゃ頭を被ったシリーズが展開されており、シナモンがエヴァンゲリオンとコラボした時にはなんてことをするんだけしからん!(Kawaii!)と憤ったものだが、このコラボも実にけしからんかわいさで、Kはダイソーで小さいカードケースを求めたが、Mは映画館でクリアファイルを買い求めた。550円。貴族だ。クリアファイルに描かれたガロくんにはエスプレッソの耳がついており、正しくキャラを理解しているように思った。エスプレッソは貴族であり、ガロくんもまた貴族だ。
 うちの貴族はミステリと言う勿れの映画をととのうの映画と呼び、ならばこのシナモンはととのうシナモンと呼ぼう。
 さて映画館は暗く涼しく、映画は冬のお話で外のいつまでも真夏の明るい世界と全く一線を画しており終わって出たときにはそのギャップにクラクラし、映画館で映画を観る醍醐味を全身で味わう。
 映画はとてもよかったが、このような物語が流行る一方、ととのうくんが劇中でゆらさんの父親の言う女の幸せについて反論するのだが、こういった考え方がちっとも浸透しないのはなぜなんだろうか。おじさんは見ないからか。
 ととのうくんは物語通して子どもや女性、マイノリティに寄り添った発言をする。現代社会に於いてもっとも勢力の強いクラスタ(おじさん)に都合のいい女の幸せとか母親像などの矛盾を突いてきたととのうくんが歳を重ねてその立場に置かれた時、その勢力の社会的有利さとか価値観をマイノリティに対して無自覚に振るったりすることはあるかもしれない。振るわなくてもおじさんであるというだけで優遇され、女性や若い世代を傷つける場面はあるだろう。
 ととのうくんはどうするんだろう、というところに興味がある。ドラマの最初のお話で警察署を出ていくととのうくんの背中に青砥さんが、久能、お前もおじさんになるんだぞ、と呟くけど、あれは若さに対しての揶揄ではなくてただの心配だったかもしれない。
 おばさんも心配になる。
 そういう感想だった。