賞が欲しくて描いてるの


 恐竜の絵が上手くて、でも評価されない、親が描いたと思われて賞が取れないみたいなのを見て思ったこと。
 年齢にしては上手いし恐竜が好きなことが伝わる熱量がある絵なのだが、何の賞レースのことなんだろう。これについたリプライの中では塗り残し等がある、賞を取る絵は余白がない(画用紙の白が残らないという意味らしい)のが普通、風景画など見たものを描いたものが評価されるからなど、これらがKの考えに近い。
 恐竜の絵は実物を見て描くのは不可能なので図鑑の復元画(予想図)を見て描くことから始まるだろう。で、その絵は模写とすればすごく上手だ。黄色を強調するために補色の紫を使うとか好きだけでそこを堀り当てるのかと保護者は言うけど、図鑑の絵を見てその通りに描くのなら、それができていても不思議ではない。だからすごく上手だが、でもどこかで見たことのある、Kん家の本棚にもありそうな絵だ。
 その絵に賞が与えられない理由はリプライにも挙がっている、模写だから、が最も腑に落ちる。大人の世界じゃトレースや模写を世に流せば叩かれる。
 2枚挙がっているうちの1枚は出典も挙げられていて、DVDのジャケットそのままだ。
 例えば博物館へ行って恐竜の模型(福井駅にあるような)を写生したんだったら、図鑑の絵のようにはならない。正しい風景画で評価の対象になるだろう。
 ところで小学校ではみんなが授業で描いた絵が廊下に貼り出されるけど、いくつか、外部の展覧会に出ています注記と共に絵のカラーコピーが掲示されている。つまり賞を取った作品である。
 みんな同じような絵で、個性も何もない中から最もキレイな絵が出展されるなあとKは思っていた。同じ絵が並ぶの中で変わった絵を描いてるヤツいるな、というのがLで、ここに絵があるということは、上手いけど正解じゃないんだろうなと思っていた。
 コンクールって課題に正解にいかに近づけるか、オーディションみたいなものなんだろう。花と虫の絵コンクールでは恐竜の絵は求められないだろう。絵のコンクールはテーマが決まっていないか。
 件の恐竜の絵について保護者は親が描いたと思われて~と言うがそれは考えが浅はかで大人が描いたにしては絵から伝わる恐竜好きの熱量が大きすぎる。並みの大人はそんなに力を入れて恐竜の絵を描かない。子どもを舐めているし、大人の審美眼も舐めている。
 Lは評価されたいと思って絵を描かない。描くことに執着はなく、アウトプットの手段でしかない。恐竜に対する熱量は誰よりも高く、恐竜の絵も山ほど描いた。
 Kも入選しないからなんだとは言ったことはない。ただ、広報誌に載ったときは皆で喜び、今でも大切にしている。
 件の人は小1の時はこんなに絵を描いていたのに今はもう描かなくなった、才能の枝を払ってしまったと書く。今いくつかは知らんけど、入選しなかったのは先生のせい、審査員のせい、と考えているようだが、うちの子は絵が上手すぎて評価されない賞が取れないと言ってる親のせいではないの?
 コンクールで入選する絵だけが上手いわけじゃないし、大人の考える正解だけがいい絵ってわけじゃない、でも人の絵を見て模写した絵は評価されない、それ正当だと思うんだけど違う?
 子どもがその絵を学校に出そうとするならKならそこを指摘する。