知識は目を曇らせるか

 子どもの異状って毎日見ている親は気づきやすいっていうか親が気づかなければ誰が気づくんだいという世界観がある。
 Mの側弯症は学校の運動器検診で、しかしプリントを読みつつ所見があるかどうか見たのはKである。書いてある通りの所見があったので申告した。その後子ども病院に繋がり、水泳やってる時に気づかなかった?と医師に聞かれたが、Kも製品の外観検査のプロなので知っています、その知識と意識を持って見ないと製品の不良も人体の異状も見抜けないことを。
 思い返すと確かに水泳教室を見に行ってMの片方の肩が下がっているような気がするような気がするみたいな気付きはあったような気がするが、すこぶる動く小学生はそれが確信になるほど静止しないのであった(動くと分からない)。
 仮にそこで整形外科にかかっても経過観察だったろうけど。
 運動器検診のお便りで知識を持ち、意識して見る(見られる方も止まる)ことでしか検出できない異状であるし検診の時期も絶妙である。それでも保存療法が始まるまで何年もかかっている。
 さて3歳児検診の視力検査、ランドルト環のデカイのを切り抜いてどっちが切れてますかをやらなきゃいけなくて、Lの場合視力より意思の疎通が心配だったが、なんと滞りなく検査ができて視力も大丈夫であった。
 保育園のママ友とこの家での視力検査の話になった時、みんなやってくれないかと思ったけど結構ちゃんとやるよねと帰着した。しかし検査の方法を分かってくれなくて全然答えられなくてうちはバカだからというママ友がいて、それに対し、うちもバカだから答えられないんだと思っていたら本当に視力がヤバかったからそれは気を付けた方がいいよ、と言うママ友がいて思い込みの怖さを肌で感じる。
 というわけで、日頃から意思の疎通があるMは視力検査楽勝かとランドルト環を待っていたらそれはやらなくなり、検査会場にはデカイ機械があって、検査技師のママ友に今年から導入されたのよ~と紹介された。多分いろんな視力の異状が分かるヤツなんだろう、Mはラッキーである。
 8歳になってから遠視が分かるのが遅いのかどうか知らないけど、字を書くのを苦手にしているとか絵本を読みたがらないとか兆候はあったらしい。親は気づいていて調べたりしたけれどディスレクシアに行き着いてこれだと囚われて発覚が遅れたと思われる。以前から子どもの異状に気づいていて、視力も疑ったのにスルーしていた、どうしてあの時病院に…とは悔しいことだろう。
 一方Kのリアルの話。病院でママ友に会って、うちはリハビリだけどどうしたの?と聞いたら子どもがすごく出来が悪いから発達検査をしてもらおうと思って、と言う。発達検査は一見さんがすぐに受けられるものではないが、自発的に来るなんて相当心配したのだろう。 その後の経過は知らないけど、その子は大きなめがねをかけ始めたのでママの心配の原因は視力の異状だったのかもしれず、正しい医療につながったんだなと思った。
 リアルにこういうママ友がいるので 件の人の場合、周りの楽観視が過ぎたのも一つの要因かもだけど、異状を見つけたママがディスレクシアや視力に疑いを持ちながら眼科に連れて行かず、発達相談にかかった様子もなく、ネットや書物に当たり当てはまる項目を見つけてはそうかもそうかもと思いたがっている様子がどうしても引っかかる。
 Kはこのアカウントを定型の人だなと思ってヲチしているけど、定型発達の人は一つの傾向がある。子どもに少し??と違和感を見つけると発達障害と思いたがるという傾向だ。Kのママ友もそうなんだけど発達障害を疑って病院を訪れたのは正しい判断だったかも知れないし、別なきっかけで視力の異状が分かったかも知れないけど、親の受容ってどんな症状でも治療していくために本当に重要なファクターだなと思う。
 病院で会ったママ友以外でうちの子発達障害かもと言った人たち(何人もいる)は誰も行動に移さなかった。受容はしないのにファッションで発達障害かも~と言いたいだけの人々である。
 定型発達で知能が普通程度かそれ以下、より学習障害があるので勉強が苦手なんです、の方がイイ感じがするのかな。
 8歳遠視の人は異状を見つけたのに病院に行かないし、視力の問題よりディスレクシアの方が何かしら何かの何かとして映えると思ったんだろう。調べて本を読んでうちの子コレに違いない→コレがいい!ってなったのか。日頃賢母的なtweetをしていてディスレクシアについても何冊も本を読んだとか。知識が目を曇らせた典型的な例だ。本ばかり読んで目の前の子どもを見ていない。
 バカかと思ったら視力が弱かったと言ったママ友と病院で出会ったママ友は気づいた異状に真剣に向き合った結果、正しい医療につながれた。教養や学があるタイプではないし知識を求めて調べまくるタイプでもない。分かんないけど心配だから、検査に引っかかったから、病院に行ったら視力に問題があり早期に正しい診断を得て治療をしている、子どもが3歳の頃の出来事だ。
 子どもの異状を何でも発達障害にしないでよと思っていた。しかし保護者が発達障害を受け入れなくて支援に繋がれないよりはいい。だけど定型発達の人が発達障害に囚われて医療に繋がり損なうパターンもあるんだ…。と遠視の人の嘆きを見て流行りに乗っかりたかったんだなと思う。
 Mが側弯症で治療を始めたところだが、世の中にはエクササイズで治るとか信じれば治るとかそういう情報が落ちていて、なんかそんなのやりきれないから敢えて調べたりはしていない。病院からもらう(っても買うんだけどさしかも結構高い)装具をつけて生活して学校行くだけで大変で、体操だのなんだのが入ってくる余地はない。知るとあれもこれもとやらなきゃいけないような気がして焦ったり、中には病院の治療法を否定している記事があって読むことで不安になるが不安になる余裕もないのである、一般的な治療をしているだけでも。
 敢えて調べない、一次情報のみでやっていくのはKの戦略だが、Lの時もそうやってて、言われることだけやるのにいっぱいいっぱいで他の本だのネットの記事だの読んでる余裕はあんまりなかったのが本当のところかもしれない。
 なので子どもの異状に気づいて、まずググる…はアリだけど患者向けサイトとか厚生労働省のページとかを見る程度に留めてあとはかかった医師に任せる方向でやっている。
 ディスレクシアを疑うにしろ、発達検査も病院行けばすぐできますってものでもないけれど相談から初診を受けるに十分な時間があったようだ。視力検査ならすぐやってもらえるのに、調べまくるだけでディスレクシア当てはまるわ!でも賢い(聴覚情報の取得に問題がないなど)ところは当てはまらないけどぉ…って耳障りのいい言葉に飛び付いて都合のいい解釈して、それで正しい医療に繋がるのが遅れる。
 ネット上の雑多な情報も親がミスリードされる要因で、例えばギフテッドの先達が学校に適応できなかったと読めば、高IQ児の親はならばうちの子も学校合わないかもと入学前から学校に対して警戒してかかるなど。いろんな情報の中、自分好みの症例や体験談を選んで子どもに当てはめようとしてないか。
 知らない方が視界がクリアなままでいられることはないだろうか。知らなきゃ見えないこともあるけど知りすぎるのも視界を曇らせる。