邪魔すんじゃないという見方

 ヲチしてる不登校のブログが、Kはそれダメ理論じゃねぇかと思うんだけど、不登校界隈では共感を呼んでいて不思議でならないのでヲチしているとそういう次第。
 ごもっともに見えるのは文章がうまくて、自分の息子のへりくつを正論化していかにも寄り添わない学校が悪いという理論に持ち込むのが巧みだからだ。
 どんなへりくつでも言葉を使えれば、人に自分の正当性を伝えられる。いかにも自分が正しい方だと表現できる。本当のところ全然、学校に配慮を求めるばかりで自分ちの良くないところを是正しようという意識がない。
 不登校にも色々あるからそれについては何もないけど、家にいてもゲームやYouTubeばかりで勉強しない、食事よりスクリーンタイム優先、手伝いを求めると口答えするなど、Kん家にそんな妖怪が住み着いたら即刻退治だ(いるにはいるが学校へは行くしもう高校生だし)。
 ゲームにすごく執着する子で、勉強するにもご褒美にゲームの時間を確保するための勉強で、何ページやったから何分、学年があがって難しくなったんだからページ当たりのゲーム時間を増やせ、と要求し、ゲームを早くやりたいからワークのやり方も雑だし振り返りもしない。そして友だちを呼んでいて何時間も遊んだ後、今までは友だちのゲーム時間で俺のゲーム時間はまだ使っていないからこの後もやれるよねという清々しいへりくつでゲームをやり続けるなど。
 で、だんだん学校へ行かなくなったと。
 別な人の話だが、春休み帳をやりました、開いて分かりません、ページをめくって分かりません、でやったことにしている子がいて、さて春休みも終わるけど宿題終わっているかな?と親がチェックすると春休み帳はまっさらだったとか、ちょっとしたホラーだ。
 分かりませんで飛ばしていいとか、解答欄を埋めとけば何でもいいとか、子どもは放っとくといくらでも自分に都合のいい解釈で世界を理解していってしまう。
 それを止めて何とか社会生活の最低ラインは保てるように持っていくのが保護者の役目かと思うので、きょうだい3人ともスクリーン漬けの不登校に仕上げたこの人がいくら学校の矛盾を突いても(わりと良いところを突いていても)、オマエガイウナの箱に入る。
 家では常にスクリーンタイムの子ども、親はホームスクーリングをするでもなく、フリースクールを検討するでもなく、私立中学を受けるでもないで、学校や回りの(無理解な)大人に権利ばかり主張しても誰も聞かないよ、とKは思うんだけど。
 子どもに合いそうな学校以外の施設をやれ学費がかかる、遠いなどと諦めて、いざ公立中学校に入ったら制服を着ないで学校へ行ったら教室に入れて貰えませんでした、制服って誰得?何のための決まり?って難癖つけてて親子共々妖怪である。
 制服はあっても無くてもKはどっちでもいいけど(なぜなら公立高校は制服がない)、あった方がいい勢は確かにいて、その理由を聞くと経済格差が現れにくい(なら高価なのは何故)とか、丈夫で仕立ての良い服の需要と供給(技術の継承は大切かも)、そこの生徒であるというアイコン(これが不要と言う人は警察官も私服でいいのかな)、など結構理解できるので、制服のある組織にいるなら着ないとダメよねと思っている。
 件の親子の間にはこういった制服のある理由の会話はなさそうだ。校長先生に聞いてみたらという下りがあるから自分で説明しようとか思わないみたい。納得できないことは全部学校へ丸投げで自分は子どものへりくつの傀儡って、いやもう学校やめてよそ行ってよ、と思ってしまう。
 公立中学校は地域の中学生によそへ行けが言えないのをいいことにやりたい放題。この無頼漢ぶりが読むだけで分かるブログに共感する界隈怖い。
 もうよそ行ってよ、は学校は言えないかもだけど。Kは学校側の人間じゃないし、保護者なので言う。
 学びの邪魔だもんでよそ行って。ホント先生の邪魔すんじゃないよと心から思う。
 だからよその人で良かったんだけど、不登校界隈もネットだからアゲるけども、リアルで近所にこの家庭があったら疎遠にするんじゃないか。
 一読したところこの中学生に上がったばかりの不登校児は不労所得で生きていきたいと言っているとか。勉強もせず、何かの突出した才能があるわけでもなし、でも理屈はご立派でYouTubeばっかり見てるとこういう子どもに仕上がるんだな、と良く分かった。
 確かに公立の小中学校なんて窮屈の代名詞だが。手ぶらで不労所得にありつける世の中じゃないよ、とは教えてくれる。
 Lはゲーム漬けにせず小学校を卒業したのでこういうことになりそうな気質でも、そうならなかった。学校の勉強がムダすぎて好きな勉強ができないとか色々あったけど、自分に思考の自由が与えられている限りどこにいても何を着ていても自分は自分だと輪郭がはっきりしていれば学校へ通うことなど息を吸うほど簡単だ。
 自分が他人に合わせたくないのに、どうして他人が自分に合わせてくれると思うの。
 怠けていないとか反骨精神だとか、学校に色々言っているうちに時間はすぎて、学齢を過ぎて気づいたときには手の中に何もない。それを引き受けるのは誰。