読めれば良くねの話の続き

 以前、字が汚いとどうのなんだとかの話題かあった。Kんちの字がへたくそ急先鋒Lがめでたく頭いい高校に受かり通っているのだが、ある日学級通信に係が決まりました!と手書きの名簿が載った。
 学級通信が手書きではない。それはWeb配信で、手書きの名簿を撮影した写真が載ったが正確なところだ。
 字がものすごくへたくそであった。思わずLが書いたのか?と聞いたが、違うと言う。誰か偉い係の子が書いたんじゃない?とか素っ気ないがよく見れば筆跡が違う。へたくそだが読めなくはない、コスパのいい文字である。
 L自身も途中式など汚すぎて計算ミスが多く、書字障害とか視野にいれた方がイイデスカ?などと心配したこともあったが、興味のあることは読める字で永遠に書いていたからそうでもなさそうだと分かり、今では数式に関してはキレイに書くようになった。へたくそだが。
 字が上手い下手に学力の相関はないと思うは変わらない。トップ校にも字が下手な生徒はいる。この高校に入ったというのを学力が高いと定義つけると学力の高い人は字が下手だ、は言える。しかし学力の高い人の字は読めなくていい、は言えない。
 小1でひらがなの留めハネはらいが厳しすぎる件、厳しすぎる先生に辟易も分かるがほどほどにその通りに書くように習うというのは結構重要なことなんじゃないか。
 トップ校に来たという子らは学校の授業で学習することに適応する能力があるわけで、ひらがなの書き方もお勉強としてきちんとマスターした児童だったのではないか。だから下手でも読める字を書くのではないか。
 ひらがなの書き方は教材で、ルールに従って書いた字が正解であると捉えると、計算の答えがあっていれば正解と同じ観点になる。それに早く気づいた子(と保護者)が、先生がいう通りに書いたらはなまる貰えるかな?とやりだすのであり、正解とする字(キレイな字)が書けるから点が貰える→学力が高いなら相関がある。 
 先生によって正解にバラツキがあって子どもが病むほど留めハネはらいにこだわられても困るけど、医者とか研究者とか頭がいい人たちは字が汚いんだからこだわらなくても良くね?は、子どもが低学年のうちから言っていいかっていうとそれは時期尚早、字が汚い→頭いいの相関はない。
 幸い、留めハネはらいに厳しすぎる先生には当たったことはないし、字が汚すぎて減点されたことは受験直前の1回だけだった。あれは先生からの警告だったかや。
 受かったでいいや。
 というレベルの話である。
 あと、小学校の先生方はみんな字が上手だけど中学校に入ると字が下手な先生が俄然多くなる説、これはある。Lの担任(イケボ)は細いボールペンで小さいクセの強い文字を書いていた。ここに赴任する前に小学校を打診されたが断ったと話していて、Kは字が下手だからなんじゃないかと勝手に思っている。
 あと達筆すぎて読めない板書する先生とかあるあるだ。高校にいがち。留めハネはらいも度をすぎると読めないから何事もちょうどよくやって欲しい。
 するとへたくそだけど読める字とは本当にちょうどよく、書き手にも読み手にもストレス少なくていいなと思う。