誰も言ってねぇし

 高校受験の内申書に出欠欄があるのがいいのかどうか、つまり中学校に通えていたことを合否の評価に入れるかどうか、の話なんだが、何でも書いといておくれよ、と身上書に英検3級!数検3級!と映えない成果を書いて出した保護者が通ります。
 高校入試の仕組みが変わるのは学校に通えていない子も公平に評価するという一面もある。不登校でも突出した才能があればそこを評価して入学を許可する枠を設けるみたいな話が初期(高校入試のシステムを変えますという説明会がうんと前にあった)にはあったと思うんだけど、もう決まったことなので県も仕組みのことしか言わなくなり、この辺がそこをねらいとしているのかな?と察するにとどまる。
 その、県の人がやってきて催されたこのようなねらいがあって入試を改革します説明会を聞きに行った人数も学年の1割に過ぎず、集まったのは相当意識が高いメンツだ。その意識が高いメンツからも突出した才能ってバスケがすごいうまい子とかなのかなとかヒソってたのが聞こえてきて解像度の低さに感じ入る。不登校でバスケが上手いは両立するんか?
 Kは学校に通えなくてもホームスクールなどで業績を挙げてる子のことじゃね、と考えた。バスケがすごいうまい子にはすでにスポーツ推薦って制度があるじゃんか。公立校じゃないけど。
 ともかく、学力一辺倒の評価ではなくてスポーツや芸術、日々の生活、資格試験、学力検査の成績などいろんなものさしを用意しましょうという考えなんだろう。
 だもんで、出欠を内申書に書かないのは良いことなのか?不登校の子はそんな欄はないほうが印象が良かろう。では全然勉強ができないけど毎日学校へ通う子は成績欄はないほうが印象が良いはずであるがそんな要求は聞かない。毎日学校に通ったは規則正しく生活できる能力がある記録である。高校で学ぶことって家の中だけで習得できる事柄ばかりではないし、ある程度通って来られる子かどうかで合否を決めたい高校もあるのではなかろうか。
 家の中だけで勉強してるからいいじゃん、その成績を評価してよっていう生き方の人はそこを見てもらえばいいけど、世の中そんな人ばかりじゃないから何でも書いておければいいと思う。だもんで不登校の保護者の立場で出欠を書かない、良いこと!って主張されてもなあ…。
 あと、学力検査と内申書のどちらに重きを置くかを学校ごとに決めて開示すればとか、それは察するレベルで開示されてる。
 推薦みの高い試験をする高校、学力検査一発勝負の傾向がある高校、それはどの試験を科すかで受験者が判断せよと言ってる制度なんじゃないか。内申点×学力検査で合格できそうですよーor難しいですよーという見積りは中学校で出しているし、塾はすごい研究してるし、凡庸な保護者も制度設計を聞けばどんな子も適正に評価されるように考えられているんだなあと分かる。
 結局保護者はどの立場でも自分に有利なフォーマットにしてほしいってピヨピヨ言ってるだけ。Kん家なんて学力検査一発勝負でやってくれよと思っている。
 この辺では一発勝負的な高校って進学校に多いんだけど、不登校で公立高校云々言ってる人らは学力に自信がありそうだから普通に受ければいいのでは。Lの高校のGQPTAで、中学校ではあんまり学校に行けてなくて…とか言ってた保護者もいたし。公立高校は偏差値の順はあるにしても、評価項目には結構個性あるらしい。トップ校は生徒会で実績がある子でも当日の点が取れなければ不合格だ。したがってLの行ってる高校は生徒会も出欠も評価しない傾向があると分かる(察する)。
 出欠を入試の評価に入れるのはがんばっている子を評価してほしいという意見があったからだそうだが、「学校に行っているががんばっている」となるなら「不登校はがんばっていない」ことになるという解釈を不登校の保護者は言うわけなんだけど、そんなこと誰も言ってなくない?
 うちの子らは学校には行くけど部活も生徒会もロクにやってない。それを「がんばっていない」とは誰も言わない。
 被害妄想がスゴいし、家に居すぎていろいろが分かんなくなっちゃってるのかなあ?とかは、まあ思うよね。