読む前感想文『ルポ 高学歴発達障害』

 恐らく知的ありASDの保護者垢が、知的のない自閉症のお友だちが普通の幼稚園に転園することについてtweetしていた。(幼稚園で)浮こうがお友達ができなかろうが、定型の中に入って生きていくしか道がないんだよなぁと。行動を見ていればそれと分かるが知的に問題ないASDは普通の幼稚園・保育園に通うし、普通級で学校に上がる。その垢はやはり動きとか定型発達とは違うから運動会などであれあの子…などと言われたりするんだろう、みたいな想像をしていて、なんともはや。
 障害者としての人生が本決まりな中から、知能指数が高い子がうらやましい、とはKもその昔、言われたことがなくもない。
 Lは加配や支援級に世話になったものの、定型発達の中で生きている。運動会はみんなと同じようにできていたが、生活面にぎこちなさがあり、学校のスナップ写真などからちょっと浮いているなと感じさせる様子が見て取れる。replyにはうちの子がそうですとか概ね好意的に受け止められてたけど、Kにとっては、このtweetは大きなお世話である。Lも療育園の方からもう抜けませんかと引導を渡されたので、このお友だちと似た養育歴がある。
 姫野桂 著『ルポ 高学歴発達障害』で紹介されているのはこのお友だちやLのような子どもが大人になったあとの話だ。登場するのは東京大学や早慶などそうそうたる難関大学を出た当事者だ。発達障害についての本は近年多数刊行されているけど、Kはもう読んでも遅いので読まないことにしているがこの書籍はLのこれからについて書いてある。
 地元で負け知らずの進学校は、最初っから仕上がっている定型発達の優等生のイメージで語られることが多い。ただ、知能指数が高いASDの行き場も進学校だったり、難関大学であるのも現実である。
 知的に問題がなく療育園では出来る子でうらやましかったあの子が定型発達の中に行く。きっとしんどい思いをするだろう。だって定型の中であの子は絶対浮くし友だちもできにくい。
 その通りだけど、定型の中に入れるならその方がずっといい。
 心配を装った意地悪な視点だなと思うのはKの良くないところかもしれないけど、この人仮に障害児の保護者じゃなかったら運動会であの子動きおかしくない?ってヒソヒソする視点の持ち主かと感じる。なんで門出を快く見送ってやれないのか、きっと上手くいく、くらいのことは言って送り出したい。