2022年5月26日 読書と映画感想
リベラリズムはなぜ失敗したのか?
狭義の(いわゆる左翼としての)リベラリズムではなく、「政府はへんな思想を押し付けたりせずに、国民の自由を保障さえすればいい」という、広義でのリベラリズムの本だった。
……とても大雑把に圧縮するとこんな感じの内容。
第一章はまあ原理的にそうやなぁ…となりつつも、主語がデカいし未来予測もデカいから話半分だ。リベラリズム(広義)の中で「結局はモラルとか自制が必要やろ」って意見が提唱され支持される可能性はまだあると思う。リベラリズム(広義)には反するものであっても。
第二章は、はぇ〜サンデル教授がたしか言ってたやつ(共同体主義)かぁ…って感じ。すげぇわかる。 人間は人間関係の中で自己を規定されたがるから、共同体の存在感がなくなると国家のために忠実・理想的な個人であろうとするって論法は、いかにもこの手の哲学の論法だなぁと思った。でも実感は湧く。
その理屈で行くと、人間が狭義のリベラリズム(ポリコレとか)に傾倒する信者になってしまうのも、人間関係の中で理想的な在り方をしようとする欲求のせいなんじゃない?とも。 そういう意味でも、リベラリズム(狭義)はファシズムや共産主義と同格だ…と思う。
第四章以降も文章は続くけど、終盤までの話は割とありきたりで……最終盤はたぶんアメリカローカルなニュアンスが強かった? 図書館の閉館が近かったのでかなり飛ばし読みになってしまったけど、州ごとの共同体意識vs連邦としての共同体意識みたいな話だった……と思う。
サイコ
★事前の印象
世界一有名なシャワーシーンの映画。グーニーズと同じく、好きなロックバンドが曲を作っていたことから興味を持った。
ヒッチコックの名前は知っていたけど、彼が手掛けた具体的な作品名は知らなかった。
★実際の感想
☆演技力の比重、重っ!
4万ドルを盗んだ女の、警官に不審がられるときの表情や声色。魅力的な女性を会話する最中の殺人鬼の目つき。
そういう言外の部分への信頼がめちゃくちゃ重い。はえ~これがハリウッドか……。
レトロなアニメの世界には、作画の際にニュアンスが劣化しても大丈夫なようにわざと台詞にする(eg.「どうしたの、そんな悲しげな顔をして」とかね)というテクニックがあったらしいけど、その逆だ。俳優が完璧に演じきってくれることを信頼しているから、心理描写を俳優にぶん投げてる。
☆罪悪感の描写がレトロ
4万ドルを盗んだ女が車で遠くへ向かいながら罪悪感と恐怖を感じるシーン。
映像はドライブ中の女や車内なのに、台詞だけが失踪した女を心配する・不審がる元同僚たちの会話だ。
「小学生がズル休みしたときに先生やクラスメートからどう思われてるか不安になる」みたいな感じ。
理解はできるけど、表現がレトロ・古典的だな~と思った。現代の作品だったらこういう描写はしないと思う。
単に白黒映画とその他のメディアの情報の差というだけではなくて、罪悪感というものの感じ方のレベルでレトロだと感じた。
一言で罪悪感とかguiltとかって言っても、国や時代や宗教や価値観によってその意味するところやそれの感じ方は変わってくるはずだ。
(たとえばキリスト教やイスラム教に敬虔な人なら、「神様ごめんなさい」が強いとか)
なんとなく、そういう次元での古さだと思ったんだよな~、特に根拠はないけど。
☆例のシャワーシーン
シャワーシーンもさることながら、血が流れ込んだ排水溝から女の瞳に繋がる映像美が良かった。
尺の使い方がレトロだなぁ(ワンシーンをじっくりと見せてくる)とも感じた。
☆「もしその女が母親なら……墓に眠っとるのは誰だ?」
会話の運び方がうまい。とってもうまいってわけじゃないけど、きちんとうまい。
☆探偵が殺されるときのアングル
作品を見てもらえればわかると思う、割と印象的なアングル。
これがのちに母親を地下室に運ぶ際にも再現されていて(結構不思議なカメラワークでそのアングルに繋がれるので、こちらもかなり印象に残りやすい)、死のメタファー(?)なのかなとも思った。該当シーンの会話に出てくる"地下室"は墓(向こうは土葬文化だから)の暗喩でもあるし。
☆ポケットに手
隠し事をしているときのジェスチャー。
実写版デビルマン
さんざん語られていない部分で言うと、暴力への造詣のなさがとても目についた。
やられ役の不良のくせにイジメ方が小奇麗だったり、暴徒のくせに殺陣がきちんとしてたり、即射殺するために銃を持っているのに馬乗りになって顔を殴ってから連行したり。戦闘というのはとにかく戦闘さえすればいいというわけじゃないだろ。不良は不良らしく、暴徒は暴徒らしく、射殺部隊は射殺部隊らしくあれ。
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