2021年5月6日 退屈

退屈

 生きるのは退屈です。
 昔から暇な時間を過ごすことを何より苦痛としていながら、ろくな暇つぶしの方法を見つけられずに生きてきたし、仕事みたいなまともなことにも熱心じゃないくせに、芸術みたいなまともじゃないことにも熱心になれない。昔から自分の希死念慮の元は決まってこれで、「大人になったらほとんど変わりのない、気が狂いそうな生活を何十年も繰り返さないといけないのか」と思いながら生きてきた。

 下手をするとこれが遺言になってしまうかもしれないので念を押しておくと、自分が自殺するとしたら原因は人間関係の不仲とか経済的な困窮とかそういった外部的なものではなく、ただただ人生が五億年ボタンめいて退屈で苦痛だからです。

退屈な人たち

 私たちの祖先、彼らが農民とか農奴とかと呼ばれていた頃の暮らしを想像すると、現代の私たちの生活との情報量の差に唖然とさせられる。

 インターネットどころか書籍すらお目にかかれないような情報に乏しい一日が過ぎ去ってゆく。生涯を想像しても「村の外へ出たのは伊勢参りとあと数回だけ」とか「あの教会の鐘が見える範囲でおらは一生を終える」とかは珍しくなかったに違いない。そういうホモ・サピエンスを何世代も何十世代も繰り返した後に、ほんのここ百年になって急に、都市部じゃない暮らしでも新聞とか書籍とかの情報媒体に触れられるようになった。
 ――かなり大雑把なイメージだけど、江戸とかパリみたいな都市部に限らない人間の暮らしとしては大体そんなものではないかと思う。

 何が言いたいかというと、自分のような退屈に翻弄される人間の遺伝子は、どうして今まで淘汰されずに残ってきたのか不思議でならない。淘汰されていればよかったのに。

西洋服装史(文化ファッション大系)

 自分がそういう概念だけ知っていて、中身はまったくしらないもの――と思って、最初に思いついたもののひとつがさまざまなものの歴史だった。これはその中でもファッションの歴史の本。たぶんちゃんとした所が出版しているだけあって、世界史の資料集を読んでいるかのように中立的で手堅い内容。メソポタミアから現代まで。

 ただそもそもファッションにそれほど興味がなかったことと、それ故とっかかりがない(情報は確かにそこにあるものの、どこを手がかり足がかりに脳内に仕入れていいかわからない)感じがして、だいぶ最初の方で断念。
 服飾関連専門講座シリーズにはもっと多種多様な(といってもこの西洋服装史よりも狭いジャンルごとの)講座本があるので、ファッションにそこそこ興味があるならきっと穴場に違いない。


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