2021年11月25日 思考囲い

 おれが幸せなのも、おれが恵まれているのも、何もかもおれの所為じゃない。そのことが決まり悪くて仕方ない。

・なぜ格差は良くないのか
 →わからない。ただ最も立場が弱い人たちにとって富豪を強襲して金品を奪う方が(逮捕のリスクなどを考えた上でも)合理的な選択肢になっていて、社会の秩序や安定が彼らの良心や本能からくる加害への躊躇いに甘んじているような状態は非常に"正しくないと感じる"。社会が力ある者の倫理に甘んじることはある程度受け入れざるを得ないだろうけど、力なき者の良心に甘んじるようなことがあっていいのか?
 関係なくはないけど、弱い立場の人間にとって暴動を起こす方がメリットになる状態に甘んじる(彼らには自身が幸せになるために合理的に行動する主体性すらないと軽視する)のはそれこそ人道に悖るので、それならいっそリモート起爆首輪でもつけて支配した方がよっぽど人間を人間扱いした立派な態度だと思います。

・"正しくないと感じる"とは何か

 →自分もこの分野は詳しくないのですが、ここでいう"正しくないと感じる"は、たぶん自分の「欲望」(規範性)であって、「信念」(客観性)ではないと思う。

・人間は、「信念」と「欲望」の両方の心理を持った時に行動するのであり、どちらか一方の心理だけでは行動しない

・「信念」とは、世界はこうのようになっているはずだという事実を信じる心理のこと。
例:蛇口をひねれば水が出るはずだ

・「欲望」とは、世界はこうあってほしい、という心理。
例:水が飲みたい

(ここから引っ張ってきた:https://liberal-arts-guide.com/metaethics/)

 ただ自分は最終的に、「〇〇ということにすれば社会が円滑に回る。だから正しい」でいいと思っている。(しっぺ返し戦略がゲーム理論で有力だという事実がその戦略が必ずしも道徳的であることを意味しないように、倫理を論じる上でこの考え方は厳密な議論ではない)
 ただしまあ、やっぱり人間が安定した社会や生存を本当に望んでいるのか? それが本当に善いことなのか? という疑問については、自分は自信がない。私自身は死んでも構わないし、世界がどうなろうと(みんながそれで良いって言うなら)それでいいと思う。

・なぜ差別は良くないのか
 →ググったら出てきた人間尊重ベース論と損害ベース論でいったん納得。必要に応じてまた考える。

・能力(特に知的能力にとても偏っている)によって人生が決まる社会にどうすれば抗って生きていけるか。能力でなければ逆にどのように分配されるべきか
 →わからん。現代において知的能力にあまりにも大きな比重が置かれているように思う(第三次産業の発達、学歴社会、人間関係の流動化、自己責任的な個人主義など)。でもまあ、そういう社会の変化で、そういう自然淘汰だと思えば抗えるものでもないような気もする。
(「知的・発達・精神障害者を安楽死させればええやん!」みたいな思想も、きちんと議論されたものであれば私はぎょっとしない。むしろ死よりつらい人生が待っている可能性がきちんと語られていないことに対して、私は正しくないと思う)
 前にも書いたかもしれないけど、結局のところ、誠実さとか優しさとかも脳の出来不出来と育った環境(≒社会階層)で決まるんだよなぁ、そしてその人柄に基づいて他人から選好されたり拒絶されたり、生殖出来たりできなかったりする(≒遺伝子が淘汰される)んだよなあ。
 最近うちの母がカサンドラ症候群気味でしんどそうにしています。

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