2021年8月13日 優生思想
現代日本で生きている私たちは本当にヒトラーやナチスの優生思想を批判できる立場にあるのか? と思うことがある。
誰だって魅力的でない異性よりかは魅力的な異性と結婚して子供を持ちたいと思っているわけだけど、十分に多くの人がそれぞれの(しかし全体の傾向としては非常に似通った)価値観で下す、ある人物が総合的に見て魅力的な否かの集積は、優生思想が求める"優れた遺伝子"の基準としてとてもちょうどいいように思える。
それに拍車をかけるのが少子化だ。今や先進国では、結婚して2人以上の子どもを産み育てるのは平均以上の行いになってしまった。
こういうことを踏まえた上で、私たちはどの程度ヒトラーを批判できるのか。私の結論から言うと、まさかモテる男女の自由恋愛を制限してモテない男女に子作りを強要するような方向には進めないだろうから、私なら優生思想自体を否定することはできないと思う。
一方でヒトラーの優生思想は悪だけど我々の優生思想はセーフだと主張することはできるかもしれない。前者と後者の相違点は、1.国家・政党・政治家が主体となっているか個々人が主体となっているか、2.遺伝子の優劣を属性(民族や障害の有無など)だけで判断している(つまりこれが差別であるか)か総合的に判断しているか、3.優生思想的な目的意識を持って行動しているか意図せず優生思想的な結果を招いているかの3点だ(私の見落としや勘違いがなければ)。
3つ目の論点はヒトラーの悪口にはなかなか役立ちそうな半面、「俺たちは結果的に優生思想的な結果を招いているだけだから、それを許容しているだけだからセーフ!」はかなり見苦しい言い訳だ。しかし1つ目と2つ目を根拠にして「"ヒトラーの優生思想は"良くなかった」と主張することは可能そうし、実際このあたりが落としどころだと思った。
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