2022年4月11日 読書記録

桃太郎って英語にしたらピーチ・ジョンか……

世界の「住所」の物語

 スラム街から一等地まで古今東西の住所・地名についての話が連ねられたエッセイ集だ。
 文中で何度も出てくる話を挙げると、「通りの名前はその時々の権力者や政治的な風潮によって変更されることがよくある」「全ての住居に番号や名前を与えるのは啓蒙思想的で管理的なことで、当初ヨーロッパ人の多くは反対していた」「スラム街では住所を割り当てることが困難で、時として福祉を妨げる要因にもなっている」あたりだろうか。

 あえて中でも面白かった章をあげるなら日本と韓国の章だ。(以下は自分が身内向けに書いた文章の再利用)

 西洋では通りの名前が重視されるのに対して日本では(著者が西洋人なので、これは単に『東京では』を意味している)区画の名前が重視されている。そしてそれは文字と関係があるかもしれないと語られている。小学校でひらがなや漢字を習った時の練習帳、中学校で英語を習った時の学習帳を思い出してほしい。アルファベットは平行な罫線を意識して書くように習ったのに対して、日本語では原稿用紙のマス目を意識して書くように習った。

 じゃあ韓国はどうなのか?(ハングルは英語同様に表音文字で、漢字同様にマス目の文字だ)……残念ながら、比較的最近までは日本が統治していた頃の住所制度が使われていたけど、2011年に新住所の割り当てが推進された。しかし結局は旧来の住所表記が好んで使われていて、現時点ではなんとも言えないらしい。

 ところで自分は京都に住んでいるので、ここでは地区の名前と同じくらい通りの名前も重視されていることを知っている(ただしよその人が思っているほどではないと思う(と言おうと思って調べたら、自分が体感していたよりかは遥かに情報が多かった))。

 「丸竹夷二押御池……」と御所周辺の通りの全てに名前があることは把握していたけど、どうやら先人たちの徹底っぷりは自分の想像をはるかに超えていたらしい。(スクショはwikipediaより引用)

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ゲームのパッケージ裏に書いてあるやつじゃん……「組み合わせは最大2万通り以上!」って!

ぷにるはかわいいスライム

 主人公(コタロー)は中学生、メインヒロイン(ぷにる)は女の子の姿のスライム。たぶん性別や恋愛という概念はなさそうなスライム。
 こういう「恋愛って何?」みたいな話は少年サンデー向きな気もするけれど、作画やギャグや人物像のさまざまなリアリティラインはコロコロコミックの派生媒体ならではの味わいがある。性欲はないけど恋心はあるくらいの少年少女のキャラクター造形って、それが自然にできる媒体ないからね。
 自分はこういう無性別好意モノ’(そんなジャンルはまだないが)は大好きなので、毎週しっかり頼んで読んでいる。

 話は逸れるけれど……第5話で登場する学校のマドンナ(きらら先輩)は子どもを見かけると母性が抑えきれなくなってしまう人で、恋のライバル(南波くん)は実はコロコロコミック的なホビーが好きで、年下の子どもと遊ぶのが好き。
 主人公とぷにるをよそに、サブキャラクターがコロコロコミック読者層をテーマにしたお兄さん・お姉さん目線のなんかを勝手に始めているところが面白い。
 明らかに南波くんときらら先輩はお似合いだし、いつ急に付き合い始めてもおかしくないと思う(実際には週刊連載だけど、コロコロ文脈のおかげで各話の繋がりが弱めなことも相まって)。そこからコタローとぷにるが「これって恋なのかな……?」と悩むシリアスな話に繋がることは想像に難くないし、……まるで久米田康治漫画(編集部の打ち切り宣告から数話でどう畳むかを計算して漫画を描き始めているに違いないってくらい、風呂敷の畳み方が手際良い)みたいだと思った。

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