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街のパン屋さんから世界の話

わたしの住む街に大好きなパン屋さんがある。
月に2〜3回、そこのパンを頂くのが楽しみのひとつだ。
母から「パン(絵文字)ゲット(^^)(喜びの絵文字)」とLINEが来ると、なんとかして仕事を早く切り上げて帰れないかと企んでしまう。

ある日そのパンを買って帰ってきた母が言った。
「ここのパン屋さんずっと続いて欲しいから、たくさん行かないとね」
その一言で最近ぼんやりとしていたことが、自分の中で少しつながったよう気がした。

よく最近ニュースで耳にする地球温暖化による農作物の不作、バスなどの公共交通の運転手の減少、物流2024年問題など。

今まで不自由なく生活できていた事実がゆらいでしまいつつあると日々感じる。そしてもっと大事で忘れちゃいけないことは、利用者もさることながら、担い手の人へのリスペクトとその方々を本当の意味で守ることができているのかということだ。

例えばバスの運転手が減少する背景には、拘束時間が長いのにお給料が十分でなく、生活水準を保つためには長時間労働をせざるを得ない環境にあるといったことがある。担い手が減少すればバスの運行本数自体が減り、バスを必要とするわたしたちは不便を強いられることになる。

物流問題においては、労働基準法が改正されたことによって、残業時間が960時間までに変更になった。だが果たしてこれは本当にドライバーを守るものなのだろうか。
必然的に労働時間は減るのだろうが、ドライバーの方々のお給料が減り、その方々の生活に直結する。バスの運転手の方も同じだ。
そこにジレンマを感じてしまう。

また農作物の不作においては、将来の食卓に不安が募る。
異常気象により、農作物が獲れなくなったり、もしくは収穫できたとしても栄養素が減ったり、見た目が良くなかったり、品質の低下が起きてしまう。
このままでは消費者であるわたしたちの生活も農家さんの生活も成り立たなくなってしまうのではないか、そんな不安が立ち込める。

わたしたちの生活を守りたい、これはもちろんのこと。
そしてそれを支えてくれている人たちの生活も守る。そこを忘れてはならない。
本当に頭が下がるばかりだ。
少し壁の向こうを想像する、考えてみる、そういうことが大切なのではないかと思う。

冒頭の街のパン屋さんも同じだと思っている。
物価高の影響で、パンの値段は上がる一方だ。
実際パンが結構余っている日もある。
お店の定休日も増えた。

贅沢ばかりできないかもしれない。
でもそこのパンを食べたい、そのお店がなくなってほしくない、そう思うのなら、足しげくそこのパン屋さんにいく。パンを買う。
望む未来が続いてほしいのなら、小さな行動を積み重ねていくことこそ、私たちができることなのではないかと思う。
周りの人に、あそこのパン美味しいよ!と、伝えることや、おすそ分けすることだって、とっても大切な行動だ。

もちろん、そんな簡単な話ではないとはわかっているのだけど、でも諦めたくないと思う。

だから利用者も意識を変えていかないといけないのだと思う。
そのサービスを利用し続けたいのなら、少し利用費があがっても支払う(そもそも妥当な金額を支払う)その背景にどんな問題があるのか理解しようとする、担い手を尊重した行動をする。
意識を変え、そして行動を変えていく。

思っているだけでは伝わらない。
わたしたちの行動で少しでも少しずつでも変えていくことができたのなら、きっと優しい光が差し込むと信じている。


・・・・
物流問題については、わたし自身も理解が追いついていないことも多く、無責任なことを言ってしまっているかもしれない。
恥ずかしながらわたしは、物流問題は「荷物を希望通りの日時でちゃんと運ぶもらえなくなる」問題だと認識してしまっていた。
だが宅配というよりも企業間輸送の問題だという。
とても考えさせられる記事があったので、
よかったら読んでみてください!


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