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「足を運んで五感で感じる意味」【2021年11月1日】

11月になりました。

「かぐやの日常」は10月はほとんど投稿せず。時間にゆとりはできて、いい感じでゆるりと生活する自分を受け入れられるようになってきました。

ただ後半戦はちょっとバタバタして睡眠時間が削られることもあり…自分を改めて見直す機会ができたなぁという感覚もあります。

Twitterからハイライトを抽出しておきましょう。(自分のためなので多くなってごめんなさい。)

こう見ると…あっという間に時は過ぎていきますね。この前までタブノキにいたはずなのに、もう半月以上が経過した。

2021年もあと2ヶ月となり、びっくりですね。いやぁ、びっくりですわ。

今日はテニスをしました。

筑波大学を目指している高校生がつくばにやってきて、一緒にテニスをしたり受験のことを話したり、美味しい焼き芋やラーメンを食べにいったり。

23歳が何をいうと思われるかもしれませんが、高校3年生は若々しい。

筑波大学の広大な土地と充実した施設にはある種の憧れ、驚きを感じずにはいられなかったなぁと、目の前で大学の施設に目を丸くする高校生を見て思い出しました。

楽しかったなぁ。

なんでも思い込みで勝手に制限してることや勿体無い印象にしていることってありますよね。逆も然り。期待していたけど実際見てみるとそうでもなかった。あるいは期待していなかったけど実際見てみるとひきつけられた。

百聞は一見に如かず。

とは言いますが、本当にその通りだし、一度足を運んで五感を使って体感するというのはとても重要な過程、きっかけなのだと感じました。

午後はちょこっとミーティングをして市役所に行く前に仮眠を取ろうと思って寝たのですが、目覚ましかけ忘れて市役所はいけませんでした。明日行くことにしました。

夕方は大学時代のちょっと特別な友人と久しぶりにお話ししました。今は海外の大学に通う留学生です。

海外での生活はその人は1回目ではないのですが、その国に行って感じたギャップはやはりあったみたいです。

さっき上に書いた「百聞は一見に如かず」と同じ話ですね。

終始真面目な話しかできなかったのですが、それはそれで面白くていい時間でした。また機会を作って共通の友人も交えてお話ししたいな。

行動変容に至ることが正解ではないが…
問いかけることには意味がある

最近、僕のある種無鉄砲な活動の仕方に対して自分を見直す機会があったのですが、捉え方は様々。当たり前かもしれませんが、「そういう側面もあるよね」と言える視点はたくさんある。サイコロの表と裏、横の関係性のように何面もあるわけです。

上記のツイートはあえてネガティブな言葉を使用することで自分の承認欲求を批判的に捉えてみた。

承認欲求からは免れない。人間なら大抵の人はそうだと思う。どこかしら認められる部分があってこそ「生きていてよかった」と思うことができると思います。

僕が自分に対して「それでいいのか?」と思うのは、批判的な視点を思考としては認識できるのですが、行動変容に結びつけるところまでなかなかいくことがないということです。

直近の計画が明確になく、実質的な力も不十分である(かなり抜け目がある)今、じっくりと大学院で学ぶ方がいいかもしれない。

でも今の自分にそれを選択するだけの認識の変容は起こっていない。

果たしてそれでいいのか?

自分に対して疑問をぶつけるのです。

もちろんそんなに激しい気持ちを自分にぶつけることはありません。どの選択でも納得できる自分がいるから。あえて自分で自分を苦しめる必要はないと思うから。

そんなゆるい自分に、今日も乾杯。