「“ありのまま”を出すこと」についてどう思いますか?
こんにちは!
金曜日、一コマだけ授業が始まりました。早速情報量が多すぎてこれはしっかり毎回振り返りをして楽しく学んでいこうと思っている、かぐやです。
先日、こんな記事を書きました。正直このテーマは書いていくうちに辿り着いたのですが、もう少し広げられそうなので今回はその続きを書きたいと思います。
まだの方はぜひこちらからお読みください。
要は、多様性を認めないことは「公共の福祉」に反するため認められるべきではないのではないか、というのが今の考えです。
この投稿をした際に元法務教官のへいなかさんからこのようなコメントをいただきました。
このツイートの意味は、性質として持ち合わせた感覚や思いを持つこと自体は悪いことではなく、それを排除しようとする具体的な表現がよくないよね、ということだと捉えました。
生まれ持った感性や、これまで生きてきた中で根付いてきた自分にとっての「普通」や「価値観」。これらが完全に誰かと一致する人はいないと思います。
それぞれがそれぞれの価値観をもって、性質を持って生きている。それはとても素敵なことだと思います。
僕の中にも、社会に対してプラスに働かない性質や価値観があります。それは倫理観だったり、恋愛観だったり…。でもこれを表に出すかどうかは僕が決定することができます。
例えば、「自分の人生を台無しにした誰かに怒りをぶつけたい」と思っているとします。でもその想いを形にすることは法律上認められていません。犯罪になります。
でも、そう思ってしまう感覚を完全に無くすことはできるでしょうか。認知を変える療法などは存在しますが、そう思ってしまうこと自体が否定されなければならないとは思いません。
誰もが“ありのまま”を持っていると思いますが、それをそのまま表に出すことの意味は、考える必要があります。その表現すべきこととそうでないことの違いや、それに対する対処法についてはまだまだ議論の余地がありそうです。
皆さんの中にある“ありのまま”と社会のギャップはなんでしょうか?もしよかったら教えてください。
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<プロフィール>
筑波大学大学院修士1年(体育学専攻)。部活動や教育に対して疑問を感じ大学の授業を通して「地域づくり」に関心を抱き2020年9月にmulti-Regionを立ち上げ、中学生以上の学生17名で運営中。多様性・居場所・選択肢をテーマに「今できること」にフォーカスした多様な活動をしている。小学校および中高の保健体育教員免許取得。学童支援員、放課後スポーツ教室指導員、テニスコーチとして働く。その他Teacher Aide茨城支部長、読書会、イベント等行っている。
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