見出し画像

地球に住む人類の1人として。

全ての論点は繋がっているはずなのにそれらを組み合わせるとなった瞬間に不都合が生じてしまうのは、なんでだろう。

自分が見えている世界の範囲で物事を考えて声をあげてみるけど、思った以上に世の中は複雑だし、あぁいえばこういうことができるし、100%の人が満足する世界なんて不可能じゃないかと思う。

「誰1人として取り残さない社会」

これを実現するためには、誰かの価値観に関与する必要がある。仕組みだけじゃなくて、誰かの価値観に変容をもたらす必要がある。今それぞれが持っている価値観のまま、誰もが救われる仕組みをつくることは厳しい。

どんなに広い視野を持ったとしても、多様性を認め合おうとしても、ある倫理観、哲学、思想に基づいた世界しか創り上げることはできない。

多様性を認め合うことと、受容体を広げることは、きっと想像以上に苦しいものがあるのだと思う。

それはある意味、排除なくしては達成し得ないものではないだろうか。

そんな複雑な世界が、どんなに薄くてもどこかで結びついているということが、どれだけ壮大なことなのかということを認識する。

社会のこの矛盾をなくすにはどうしたら良いのか。

権威性から逃れるとはどういうことなのか。

能力主義、競争主義に囚われない世界が果たして平和なのか。

豊かさとは何か。

正解はない。ただ、エゴを抱えずに生きることは難しい。

誰もが何かしらの信念を持って生きている。

地球に住む人類の1人として何ができるのか。社会に対して、日本に対して、世界に対して、何ができるのか。

誰のどんな課題も無関係じゃない。複雑に絡み合った糸をたどった先には必ず人類の起源が存在する。

それをどこまで自分ごとにして、自分を変えることができるか。

目に見えない犠牲に対してどれだけの人がどのように手を差し伸べることができるのか。

誰かを変える前に、まずは自分から。