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「『感性』が人の根源だとしたら…」#220108

こんばんは。

今日も日が変わりそうですね。

この投稿を書き終える頃にはすでに日が回っているかもしれませんが。
(と思ったら寝落ちして朝になってました)
(と思ったら公開は夜になりました)

かぐやです。

昨晩(一昨晩ですな)からつくばを出発して来るまで8時間かけて京都府に到着。今朝まで「大阪の母」のおうちでゆっくりしていました。

お母さんが振舞ってくれた手料理が本当にすごすぎて、、、ありがとうございました。

大阪の母の手料理

1月3日から昨日まで一緒に過ごしていた友人(Naoki)君は実は公教育を経験したことがない人です。幼少期から青年期はシュタイナー学校というドイツのルドルフ・シュタイナーさんが創設した教育の中で育ってきました。

そのシュタイナー教育というのはとても興味深いことがたくさんあるのですが、「授業の一つ一つ全てに意味がある」というのが一つの特徴です。

もちろん公教育のやっていることが意味がないということではなく、より"体験ベース"で発達心理学とつなげて作り上げられているシュタイナー教育は面白いなぁと思っています。(ここも詳しく話したいけど省略!)

さて、その彼と昨日、近くの町を歩きながらお話する中で、グサグサと刺さるようなことをお話ししてくれたのでちょっと書き記しておきたいなと思います。

よく「今やっていることの勉強の意味を見出す」とか、「何のために、どんな力をつけるためにやっていると意識すること」が大事だと言われるようになってきた気がします。

それは僕も例外ではなくて「今やっている勉強が社会や将来にどうつながる可能性があるのかを伝えられる先生が良いのではないか」と思っていた時期、そうやって発信していた時期があったなぁと思い返しました。

でも。結論から言うと意義や目的は共有することが必ずしも良いとは限らないし、子どもたちにそれをもたせる、意識させるというのはかなり酷な事ではないかなと改めて認識させられました。

シュタイナー教育においては、その内容や目的などについて、周りの先生や保護者は子どもたちに今の学びを明かさないという方針なのだそう。

それはつまりどういうことなのか。

子どもたちは「体験の渦中にいるから」学びが深まるのであって「敢えて俯瞰する必要がない」ということだと思います。

夢中になることとメタ認知することはどちらも大事ですので何かに向かって逆算して考えるためにはメタ認知は役に立つかもしれませんが、どの段階からが良いのかは安直に答えが出るものではないなと。

シュタイナー教育では【感じる→考える→決断する→実行する】という力を発達段階の通りに進めていくそうです。

僕はこの中でも「感じる」というのが1番根底に来るものだと思っています。自然や素材、ものにリアルに触れることで感じる。

感じたものが『感性』だとするならば、幼少期からの環境で得てきた『感性』がその後の人生設計やその人となりとして表出していくわけです。

その『感性』が不安定(ゴールがあるわけではないが)である時期にインターネットやテレビなど人間の歴史で見るとほんの直近の発明品に触れ続けることで失われるものは大きいなと感じます。

以上が昔ながらの体験、その追体験の重要性を実践しているシュタイナー教育から考えたことでした。