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答えが欲しくなる休学という選択肢【6月3日】

こんばんは。今日もじっくりと生きました。

今朝は筑波大学生と朝活をしました。どんな朝活かというと、「遊ぶ」です。

もともと予定では大学内の自然の場所で裸足で走るというものでしたが、場所を移動して、田畑の広がる自然豊かな芝生の上でサッカー、フリスビー、バドミントン、スケボーみたいなやつ(くねくねするやつ)をしました。

シンプルに「あぁぁ豊かだなぁ」と感じる時間でした。太陽が緑を素敵に照らしてくれて、空気は美味しくて、田んぼで作業を始めた人たちと犬の散歩をしている人の挨拶する様子を見て、沁みた朝でした。

そろそろ日焼け止めを塗らないと日焼けしそうで困りますが(困ってはないしすでに手遅れではある)、将来のためにも少しは気を遣っておきたいところです。

朝活は定期的にやるみたいです。というかやります。自分の運動習慣のためと、アクティブレジリエンスのために。

さて、世の中は何もしなくても色々と動いているわけで、昨日は「スポーツ鬼ごっこ」を初めてやってみたり、毎日新聞の記事のWEB掲載があって喜んだり記録していない部分でもあれよこれよと何かを得て、生きています。

大学院に進学して2ヶ月が経ち、ここまで研究の優先順位は低めで、生活してきました(事実として)。研究に時間を割くべきだということは理解していますが、それを選ぶのは簡単ではありません。そもそも選択肢には休学や退学なども入っているということが前提に入学したのですが、自分の中で「大学院で学び研究をする意味」を問い直す機会が来ています。

意味や意義は確実にある、といえばあるのですが、プライオリティとタイムマネジメントには限界があります。まだ限界突破をしていませんが「楽しいことだけやっていきたい」という気持ちはどこかにあるわけです。

じゃあ何が楽しくて何が楽しくないの?という話ですが、自分の関心のある授業やゼミの時間、外でのその他の活動は楽しいものが多いです。しかし、関心の低い授業のレポートやインプットのみの授業、単位を取得し修士を取るということに関してはあまり楽しいとは思えません。

楽しくないというよりは、“自分の人生にとって重要ではない”という感覚です。

研究室で先ほど、休学を考えているという旨を先輩に相談をしました。

答えはまだ出さなくて良いので、いろんな方と対話を重ねて自分なりの納得解を選びたいと思います。

「どの選択肢でも良い」ことが前提の悩みはリスクを取ってこなかった気がします。

大学で部活動をやめようと思った時も、大学院へ進学するか迷った時も、結局は自分の中で無難な選択肢を選びました。

そんな自分でいいのか、悪いのか。自分の好きなことだけを抽出して生きる。そのために自分をある意味律するような場所に身を置く。

答えが欲しくなりますね。でもこれが楽しいです。それでは、また。

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<プロフィール>
筑波大学大学院修士1年(体育学専攻)。多様性・居場所・選択肢をテーマに「今できること」にフォーカスした活動をしている。主な活動分野は、部活動・性教育・哲学対話・環境・共生社会。小学校および中高保健体育教員免許取得。学童支援員、体育教室サポーター、テニスコーチとして働く。その他手話会、読書会、対話会等イベントを主催。
かぐやが日々の学びや考えていることを投稿したりzoom会を開いたりしているコミュニティ
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