「自分に“力”があると思えることが前提」#220112
こんばんは。
かぐやです。
今日は20時から2時間以上こちらの対話会(+アフタートーク)でお話してきました。
りゅーじんさんの「父親へのケアをしたいねぇ」という話はもっと具現化していきたいなぁと思いましたし、たかひろさんの「『こうあるべき』というものが家族になればより強くなる」というのは本当にそうやなぁと思いましたし、じんぺーさんの「それだけの力があったことは前提で『自力でなんとかしてね』という親の教育があった」というのはめちゃくちゃ通ずるものを感じましたし、いろんな気付きと学びがありました。
セクシュアリティ診断のanoneの開発経緯や皆さんのanoneに対する思いもとても興味深く聞いてました。
いやぁ、本当に楽しかった…。
YouTubeでのライブ配信ということで、前回はZoomに参加者がいたことで変に緊張していたのがかなり緩和されて言語化の質が変わったような気もしました。
父親へのケア、男性へのケア、男性だからできるケア、男女関係なくできるケアなど。
ケアの循環は全員を包括することができるのか?
ケアが循環するためにできる教育のあり方とは?
それぞれの立場に対するケアのあり方とは?
対話中には出しませんでしたが、APOconnectsで広げたい理念【循環的相互扶助】と結びつくところがあって「やっぱここにくるんかぁ!」となりました。
僕の言語化を振り返ると、シュタイナー教育での学びについて(気づく→考える→決断する→実行する)、レジリエンスについて、幼少期からの教育が大事だよねということ、『足るを知る』を知ったのは小学生のときなのではないかということ、自分の父親に対するもやもやはそうさせている社会に対するもやもやだったのではないかということなどがありました。
そこから3名の反応を受けて、『足るを知る』ことで生まれている心理的安全性の段階の低さとか、めちゃくちゃ成長したい!という自分ではないこととか、やりたいことに向かうことと今にある程度満足することのバランスの難しさとか改めて認識できました。
ただ、これがもし自分に色んな場面で力がなかったとしたら…と考えることは非常に困難です。これまで乗り越えてきた“力”が前提となっている言語化だなぁと感じました。
なんかまとまってないですが…とにかく…ステキな時間をありがとうございました。