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腸の調子

昔、杞の国に、空が落ちてくるのではないかと心配で眠れなくなった人がいた。もしも無限に広がる空が落ちてきたら、どこにも逃げる場所はなく押しつぶされて死んでしまうだろう。空はどれくらい重いのだろう、きっと人類には思考が及ばないくらいの重さだろう。

今日は自動車学校に出かけていた。朝9時半にアラームが鳴って、3回スヌーズした。10時を過ぎたところで、体が重く自動車学校をパスするか悩んだ挙句髪もとかさず、立って時計を見ながら熱いスープを飲んで家を出た。夜早く寝つけばこんな大変な思いをしないだろうと重い足取りだった。でも夜は心細くて不安でいてもたってもいられない気持ちになる。すっと潔く入眠するという行為が、できない。

いつも睡眠に抵抗して、華やかで賑やかな夜の新宿の住人の配信を流す。自分を誤魔化して時間をかけてようやく入眠できるのだ。好きで夜更かしをしているのではない。私は母と二人暮しだが、母は仕事があるからいつも床に就くのが早い。夜は、みんな眠る。子供のようだけど、自分だけが意識をもってひとり取り残されてしまう恐怖と闘わねばならない。過去、高校の頃、ある人が「眠っている状態が、一番死んでいる状態に近い」と言っていた。だから人は死ぬ練習をしているのだ、と。みんな、眠るときは何を考えているのだろう。私は眠るとき、どうしても「死」について深く考えてしまう。夜はひとり、死ぬときも独り。じゃあ死んだらこの「意識」はどこに行くのか。そして「死」は「生」の偶然性に繋がっていく。いま、私は体のどこもおかしいところはなくて偶然生きていられるけど、今この瞬間偶然心臓が停止する可能性も孕んでここに存在している、と。生きたい。死への恐怖は生への執着に向かわせている。私は生きるために栄養のある食材を食べるようにしている。他人が酒を飲み無頓着に脂質を摂っているとき、私は肉や野菜や発酵食品を食べて長く生きて色々なものを見てやろう。二十歳を過ぎてから、焼肉を食べると胃が痛くなる。「老化」することは、私も自然の一部だという忘れていたことを思い出させる。

母は介護施設で働いている。高齢者は排便が三日以上ないと焦りはじめるらしい。なぜ?と聞いたら、そろそろか、と思うかららしい。私は、いくつになろうが死は怖いのだ!と震え上がった。この前、長生きしたい!と関係している医者に話したときも、腸内環境を整えることだと言っていた。人の腸の長さは12メートルにもなるらしい。体の中で大きな割合を占める腸の具合は、生命に直接関わるということなのだと納得できる。今日で私は三日出ていないじゃないか、これは大変だ。
私は最近そんなことばかり考えている。

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