こっちの水は甘いぞ

長女「ミエ」
次女「姉ちゃん久しぶりやね、ごめんね、ずっと帰らんで」
長女「ばあちゃんの顔みたかん」
次女「見たよ ちょっと口が開いてきたみたいだったけどいい顔しとった」
長女「そんな苦しまなかったみたいだからそれが幸い」
次女「何だったん」
長女「寿命だろうけど… 80超えた頃から心臓悪かったから、それだろうね」
次女「そうかん…」
長女「あんたの旦那は来んの?」
次女「え…あ、仕事やし、亡くなったのばあちゃんやし、休み取りずらいやろ」
長女「身内に変わりないやないの」
次女「しゃあないんよお、大阪まで片道4時間はかかるし」
長女「そんなもんかいねえ」
次女「姉ちゃんは大丈夫なん」
長女「二人もいれば十分でしょう」
次女「そういうことやなくて、体が心配だって言ってるんよ 気も落ちとるやろし……」
長女「大丈夫よ」
次女「そうかん、でも痩せたように見える」
長女「ばあちゃん、一人で何思って死んだんやろねえ」
次女「今年90やったのな どうしてるかなとは思っとったけど」
長女「この家売れるかいねえ」
次女「え、手放すんか 誰か住まんの」
長女「そんなん誰もおらん 親戚の若いもんは皆他所に仕事に出たりなんだりで 純平も就職して大阪にいったと」
次女「純平、もうそんなかん」
叔父「誰やと思った ミエお前何だ 長いことどこいってたんや」
次女「おじ 久しぶりやね 私大阪で出会った人と結婚したんよ」
叔父「なんやって 純平も大阪にいるんや」
次女「今姉ちゃんに聞いた 純平、もういくつになった 私の五つ学年下やから…」
叔父「今年二十歳になる 早いけどなあ 大阪でちゃんとやっとるとええけど」
次女「行ったら行ったで、後はすぐ一人でなんでもやらなきゃいけんから勝手に出来るようになる」
叔父「ん そうやとええんやけど」
次女「純平、みんなに愛されて育ってよかったな」
長女「そうやね まあ、みんなばあちゃんの血で繋がっとるから」
叔父「純平も悩んだと思うけどなあ だけどこんな狭い中で、誰を憎んでいいかわからず他所へ出たんや あれは賢い」
次女「純平も大阪なんなら同じ新幹線かとも思ったけど 来んのかん」
長女「純平にも連絡はいれたんよ ばあちゃん死んだんやから忙しいようなら葬式には出れんくても顔だけでも見てやれって」
叔父「純平なんか一番ばあちゃんに可愛がられてたんやからな、最後は顔見てやらなあ」
長女「そういや遺影、いいのあったかん」
叔父「そうや これ、今写真広げて見ててな、いい顔しとるのがあって試しに引き伸ばして印刷してきた」
長女「あ、ええねえ」
次女「これ、いつ?」
叔父「20年前、純平が産まれたときの 下に純平抱いとる」
長女「そういや私覚えとる気がする この家でばあちゃんが純平を抱いて、この上ない満足のような顔で笑っとった」
叔父「嬉しかったんじゃわい お前らの親父も若くして死んだばっかりで 純平の母親もこの後すぐに純平置いて駆け落ちしたけど ばあちゃんの人生も壮大なもんやて」
次女「すみれさんて男と逃げてたん…」
叔父「そうじゃ」
長女「そしたらなんで純平を産んだんよ…」
叔父「…」
次女「そん時はその、純平の父親のことが好きやったんやろ」
叔父「なんというかなあ、あの人は男が放って置かん空気を纏ってたんや」
長女「すみれさん、綺麗な人やったね」
次女「そうなんか」
長女「他のうちのもんの誰にも似てなくて、すごい綺麗やった 純平はすみれさんにすごく似とる」
叔父「純平は母親似や、俺も純平の父親の顔は見たことないが、そんなん見んでも、目元やら鼻やら母親にそっくりや うちのもんはみんなばあちゃんに似てしまっとるので美形ではないがな じいさんはいい男やったのに ばあちゃんの血はそれを負かしてしまうくらい強いってことや しゃあなし」
長女「すみれさんは父親似なんや ばあちゃんがじいちゃんが死んだ直後に出会った男に」
次女「すみれさん、ずっと苦しかったんやろなあ ここ出たかったんよ」
叔父「そうやろな」
長女「ばあちゃんは別に醜女ではないやん 苦労した顔なんよお、私昔聞いたことある、子供の頃小学校で同級生の財布が盗まれたとき、この部落のもんだけが裸にされて隅から隅まで見られたと言っとった」
叔父「昔のことや」
叔父、会話から外れて座り、テーブルの上の新聞を広げる
次女「私の時もあったで」
長女「私はあんまり気になったこと無いけどな」
次女「嘘や 友達の親が私を見る時だけ、目が言ってた 同和の子供、と あんな露骨に違ったのに」
長女「まあ… でもなあ、あんたはちょっと思い込みが激しいところがあるから」
次女「ばあちゃんの時はもっと色濃くあったんよ」
叔父「やめろ、そんな話」
次女「私、初めて旦那の家に行った時私だけ別なところに食事を出されたんやから
姉ちゃんは他所に嫁に行ったことがないからわからんと思うけど」
長女「あんたの旦那は見て見ぬふりかん?」
次女「あの人はただ姑の嫁いじめくらいにしか思ってないんよ 」
長女「あんた、それでいいんか」
次女「姉ちゃんにはわからん、すきなんはこっちなんやから そんな単純なものじゃないんよ 当事者みたいに感情がないから、他人はなんとでもそれらしいこと言える 」
長女「私は大切にしてくれる人を選べって言ってるんよ」
次女「姉ちゃんには私が哀れに見えてるんか知らんけど、私には大切にするとかしてくれるとかわからん
ただ自分の好いた人と一緒にいることが幸せなんやないんか」
長女「そうかん、あんたがいいって思うなら、それならそれでいいんじゃないかん」
次女「姉ちゃんはずっとそうなんよ、男になんかに振り回されんで二人も子供育ててえらいわ でも周りから幸せに見えるんと、幸せとは別なんよ」
長女「旦那と子供がいてこの生活で私は十分やけど」
次女「子供がいたって、人好きになるやろ 私、すみれさんの気持ちがわかる」
長女「私はあんたとは違うんよ…」

叔父、新聞をバサバサと音を立てて閉じ退席

次女「姉ちゃん、腹痛くなったりしないんか」
長女「無いもん痛くならんやろ」
次女「…」
長女「下の子が1歳になってすぐ見つかって」
次女「うん」
長女「もう子供は欲しくなかったけど、なんか…役目が終わったような気がして」
次女「役目」
長女「私も、上手く言えないんやけど」
次女「姉ちゃんにとって女、も役目なんやね」
長女「どういうことなん」
次女「姉ちゃん人のこと、本当に好きになったことあるかん」
長女「どうやろ」
次女「何が一番大事なん」
長女「子供やろ」
次女「そうやな…普通は」
長女「子供より大事なもんなんか、ない」
次女「私もあの人の子供が欲しい 姑は私の産む子抱かんかもしれんけど あの人も私の産む子可愛いと思うのかわからんけど」
長女「産まれたら産まれたで…」
次女「あの人のことが好きなんよ でも子供は…怖い、あっちの人たちに可愛がって貰えなかったら、可哀想で」
長女「…」
次女「離れればいいと思うやろ」
長女「そりゃ、つらいなら…」
次女「好きだからつらいんよ」
長女「すごいと思うよ あんたのようには私はできんから」
次女「」


叔父が戸を開ける

叔父「大変だぞう 純平が、赤ん坊連れてきやがった」
長女「ええっ」
次女「どうなってるん」
叔父「全く…困った息子じゃわい」
叔父は笑みを浮かべながらまた玄関先へ戻ってゆく
長女「まあ、まぁまぁ」
長女、あっけに取られたまま叔父に続く
次女、姉の後に続こうとするが足元にアリが縁側から行列を作って家の中まで入ってきているのを見つける
そして思わず毛糸を手繰り寄せるようにどこから来ているのかとアリの行列を辿る
次女「ありゃりゃ…、どうしよう姉ちゃん(呼び声)、ばあちゃん砂糖でもこぼしたんかいね」

純平、赤子を抱いて来る
姿はこちらからは見えない
次女一人だけ

次女「あれ純平 久しぶり…」

暗転

赤子の泣く声とあやすためのカランカランという玩具の軽やかな音
次第に赤子の笑い声になっている

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