受験勉強を必死にやるのをやめた話

僕は大学受験が嫌いだった。というかテストが嫌いだった。まあ好きな人の方が少数派だと思うけれども。

大学受験は、僕がこれまでの人生で受けてきた試験の中でも一番規模が大きい物だったし、今後の人生を決める大事な試験だという雰囲気もあったため、当時はすごくストレスだった。

模試も飽きるほどやったが、それももちろん嫌だった。
試験中に「なんでこんなことをやらないといけないんだ」と集中できずにイライラしていることも多かった。このシャーペンを折ってやろうと思うこともあったが、鉛筆とは違ってなかなか折れるものではなかった。

自分はいったいこんなところで何をしているんだろう?
こんな難しい問題なんか解けるわけないのに、どうして頭が痛くなるまで考えないといけないんだろう?
そもそも、誰の為にこんなことをしているんだろう?

僕の中で、試験=我慢の時間 だった。
我慢にも2種類ある。ただ耐えればいい我慢と、行動しなければいけない我慢だ。
例えば、病気で苦しいときはただ痛みを耐えていればいい。
でも、受験は拘束時間を耐えるだけではない。問題を解くために努力して行動しなければならない。しかも、自ら苦しみに向かっていくような。
だから、受験することは病気になることよりも辛いものだ。受験するくらいなら病気になった方がマシなんだ。
そう考えるようになっていた。
すると、ますます試験が辛いものになっていった。

そんな状態が続いていたが、同時に疑問にも思った。
そもそも試験の何が苦しいのだろう?
たぶん、1時間椅子に座っていることが辛いわけではない。
問題が解けないことが辛いのだ。問題の答えを知らないことが辛いのだ。
では、なぜそんなことが辛いのだろうか?
試験の点数が低くなるかもしれないことが怖いのだ。
では、なぜ点数が低いと怖いのだろうか?
大学に進学できないかもしれないから…。
なぜ、大学に行かないといけないのだろうか?
それは…

第一、僕は別に大学なんて興味が無かった。
僕には将来の事を考える知識も経験も頭も無かったが、親や教師が提案する方針になんとなく頷いていたら、大学進学の話になっていただけだった。

僕には自分で人生を決めるほどの気力が無かった。決めたところでどうなるかもわからない。受験に合格したら幸せになるような気もしない。

将来は未知すぎるから、受験に受かっても受からなくてもどちらでもいいと考えるようになった。

そしたら、受験に対する嫌悪感が少し軽くなった。受験なんかどうでもいい。合否など知ったことか。分からない問題は分からなし、分かる問題は分かる、ただそれだけのことだ。
受験はいわゆるアンケートと一緒だ。ただ質問されたことに素直に答えるだけで、わからないときは空欄にすればいい。
辛かったり、ストレスに感じる必要などどこにもない。疲れた場合は試験終了まで休んでいればいい。好きな妄想をしていればいい。

そのように考えるようになってからは、試験を受けるのがそんなに苦じゃなくなった。

僕は、試験時間をより気楽なものにするために、真面目な人なら普通はやらなそうなことを試験中に取り入れた。

例えば、試験官が「始め」と言っても、しばらく何もしなかった。
周りが一斉に鉛筆を持ち、問題用紙を開いたり名前を書いたりする音をただ目をつぶって聞いていた。
そうすることで、周りの緊張した雰囲気に流されず、あくまで自分は自分だけの世界にいることを感じられた。「皆は受験に合格するために必死に頑張っているかもしれないが、僕にはそんな目的はないから頑張る必要はない」という気持ちをより強く感じることができるのだった。

他にも、わからないと思った問題は一切考えることをせずスルーしたり、疲れたら休憩したり、やる気が起きないときは好きな漫画の妄想したりしていた。

そんなやる気のない感じでだらだら取り組んでいると、最後の問題までたどり着けずに時間が足りなくなった。でも、別にそれでショックを受けることはなかった。

不思議なのは、それでも成績があまり下がらなかったことだ。良くもならないけれども。

受験シーズンが近づくにつれ、模試の回数も増えていく。模試の結果を見てもその結果をあまり深刻に受け止めることはしなかった。

気楽になったのは試験勉強に対してもだった。別に志望校にどうしても受かりたいわけではないので、必死に勉強する必要が無いのだった。とはいえ分からない問題が分かるようになるのは多少気持ちが良いので、完全に勉強をサボっていたわけではない。理解できたものは、単語カードに書いて覚えた。難しすぎたり、いまいち理解できない問題はスルーする。

大学受験本番もいい加減な感じのノリで挑んだ。相変わらず、試験開始直後は1分くらいぼけっとしていた。「分からない問題は無理に頑張らなくていい。辛い思いをしなくていい」というポリシーを胸に刻んで取り組んだ。

結果的に、第一志望の国立大学に合格した。親や教師にも褒められて、そのことは僕も単純にうれしかった。4年先まで予定ができたわけだし、もし卒業することができれば一般的には高学歴と呼ばれるようになる為、とりあえず順調な気がした。

ただ、大人になった今としては、受験に合格したことが良い経験だったかどうかは分からない。最終的に大学も無事卒業できたが、それも良いことだったのかは分からない。
留年や大学中退という経験が人生を良い方向に導いた例だって、たくさん聞いたことがあるからだ。中卒という学歴で成功した人もたくさんいるだろうし。
結局、1通りの人生しか経験していないのだから、後になっても良いか悪いかなど分かるはずがないと思う。

今回の経験から、将来の為に辛いことを我慢する以外のやり方があるのかもしれないと学んだ。
我慢には2種類ある。ただ耐えればいい我慢と、行動しなければいけない我慢だ。前者は仕方がないにしても、後者をやるのは狂ってる気がしなくもない。僕はやりたくない。

今後もまた、何か辛くて我慢しながらやらなきゃいけないことに直面することがあると思う。その時、僕は必死にやらない道を選びたい。










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