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コロナになってしんどかったこと

先週の金曜日、内定先の飲み会で関西から東京まで行った。会社がホテルをとってくれていたので、飲み会後はそのホテルに戻った。

関西からの新幹線移動と、多すぎる人、初めて会う会社の人たち、慣れないことが多くて疲労困憊なはずなのに、全然寝れない。体が暑いし、頭がぼーっとする。暑さでやられたか?と思い、ホテルのフロントで体温計を借りると40.2℃。やばい、と思った。この時点で深夜2時。誰にも連絡はつかないけど、とりあえず恋人と家族に発熱したことを報告した。

翌朝6時。早起きの父から連絡が来た。頼れる人もおらず、食料も、お金もなく、どうすればいいか分からないことをそのまま告げると、車で迎えに行く、と言ってくれた。実家は名古屋なので、片道4~5時間はかかる。それでも迎えに来てくれた。ありがたかった。

13時頃、父が来てくれた。ホテルの部屋でコロナの簡易検査をしたら一瞬で陽性と判断された。父も怖かったと思う。陽性の人間を車に乗せて、また4~5時間運転するのだから。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

18時になるかならないかのところで、名古屋の実家に着いた。母が出迎えてくれて、そのまま自室に隔離された。母とはLINEでやり取りし、ご飯や氷枕など必要なものは全て扉の前に置いてもらった。LINEがあってよかった、母がいてくれてよかった。

その夜、色々なところに電話をした。アルバイト先に休むという連絡、予約していた病院や約束していた友達へのキャンセル、3日前に行った献血へ血を使わないようにお願いするなど、大変だった。喉がやられていたので、電話するのが一苦労で、献血のお兄さんがすごく優しく対応してくれたのが沁みた。

色々な人に迷惑をかけたのが、いちばん辛かったと思う。高熱が出たり、唾が飲めないほど喉が痛くて眠れなかったり、味覚障害でなんの味も感じれなくて絶望したりもしたけれど、色々な人に迷惑をかけて、助けてもらって、それでもしうつしたらどうしようもない、と感じた。潜伏期間に一緒にいた恋人には移してしまって、1人でこんなしんどい思いをさせてしまったことはとても悔しい。ただ幸いなことに、家族や会社の飲み会で会った人には誰にもうつらなかった。不幸中の幸いである。

頼れる家族がいて、すごくありがたく感じた。健康のありがたみを改めて感じた。1週間、長かった。ちゃんと治って、本当に良かった。

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