4月7日 飯食って筋トレして素振りして寝ろ

自粛してますか。
私は人を殺すくらいならお家で寂しく、精神を病みつつも日記を書いていた方が幸せかなと思い引きこもることにしました。
志村さんが亡くなってやっとコロナに日常を奪われたと恐怖しました。誰かが死んでから誰も死なないで欲しいと思ってしまった。クズだ。
亡くなった方やその家族、恋人の痛み苦しみを分かることは私にはできない。妄想することしかできない。同じ目線で悲しんだり怒ったりできない。なにが正しい悲しみ方なのかわからない。せめて見えない敵に怯えて誰かを傷つけるのことのないように 。攻撃する相手を間違わない様にしたいです。

みんなそれぞれ不安なことも違うかもしれません。そんな時、人の温もりが必要なんですが、今は一人でいなきゃいけないんですもんね。気が狂いそうですね。でも正気じゃやってらんないので狂っていきましょう今だけは。

今がいつまで続くかはわからないけど。

私も正気じゃ作文なんてできませんからこれも生きる手段なんです。

人生経験がろくにない私がこういうとき思い出すのは3.11のこと
小学生でした。
今とあんまり変わらないクソガキでした。震災後、私の学校に被災地から数人の転校生がやって来ました。
小学生の私には想像もできないような悲しみを背負った同い年の少年少女が突如目の前に現れたのです。当時の私は受け入れることができていたのだろうか。
一緒にいた記憶はあっても、友達になれたかどうかわからないまま別れが来てしまったのではないか。
あのときも、いまも、私は傍観者です。なにも知らない人です。ごめんね。私も悲しい。
まるで別の世界で生きてるみたいだったね。不思議な体験でした。普通を失った人の前で普通に生活してた。生きてるだけで不謹慎だった。
放射線とか緊急地震速報とか津波とか、NGワードがいっぱいあって、口走って先生に叱られたりした。
それでも私たち子どもに求められたのは分け隔てなく彼らに接する無邪気さでした。私たちは優しい同級生になれていましたか。正解した生徒はいましたか。先生。私は未だ解き方がわからない。
いっぱい傷つけたよね。
記憶の中でも傷つけ続けているんだと思う。

今度は私がなにか失うかもしれない。
明日コロナになるかもしれない、いや、もう既になっていて近いうちに死ぬかもしれない。
もしくは誰かを殺すかもしれない。大好きな人かもしれない。
この「かもしれない地獄」を早く抜け出したい。
見えないわからない苦しみを、書いてみたらどうにかなるかもと思って書いたけど、やっぱり見えてくるのは自分のクズさです。

できることだけやろう。できないことも受け入れよう。