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#お手紙note おまゆさんへ

おまゆさんへ

イエーイ、おまゆちゃん、元気でやってるかい? 今日も車いす、ノッてるぜい!

こないだはお手紙、ほんとうにありがとう。もう嬉しくってさ、すぐ返事書いちゃってるよ。

実は今「雪江」はちょっと留守しててね、だから今日は、おれ、「ゆきえ」が代わりにこの手紙を書いてるよ。だから、いつもとはちょっと違う感じかもな。「雪江」はいつも、なーんかしめっぽいことばっか書いてるよね。でもおれは明るく、はちゃめちゃにいくから、よろしくな! あ、むっときたらすぐ言ってくれよ。すぐ書き直すし、なんなら破いてもいいよ。


この機会だから思い切って、ずっと思ってたことを言うよ。
おれ、ずっとおまゆちゃんのこと、このnoteって街で出会った「妹」だって思ってるんだ。

びっくりしたよね。でも、ほんとなんだ。ほら、Kojiちゃんとはるさんがお互いを「note母さん」「noteでの娘」って呼び合ってるよね? おれもひそかにおまゆちゃんのこと、「noteの妹」って呼んでたんだよね。うわ、超変態じゃんね! やべえなあ。嫌われるかなあ。でもいいや。ほんとなんだから。

ええい、この際だ、もうひとつ言っちまう!
おまゆちゃんの夫さんのことも、実は「noteの弟」って、ほんと勝手に思っちゃってるんだよね。
だっておまゆちゃんが夫さんのこと書いてるのずっと読んでたら、もうほんと憎めなくてかわいい奴だなって思うしかないじゃん。こんな「天然記念人」な奴みたらさ。こんな弟とキャッチボールとかできたら最高だろうなって思うよ。いやあ、またやべえこと言っちゃった。気ぃ悪くしたら、ほんとごめん。代わりに謝っておいてくれるかな。


こないだのお手紙にもあったけど、はじめて会ったのはおまゆちゃんの「鉄のフライパン」を見つけた日だったね。おまゆちゃんも書いてたけど、ちょっと疲れてた時で、noteの街をふらふらしてたら出会ってさ。なんか気持ちがふわっと軽くなったの、すごく覚えてるよ。その後の朗読も聴いて、なんていい声なんだろうって、途中で寝ちゃったりして。あ、あの後ちゃんと最後まで聴いたからな!

その後もおまゆちゃんの書いたもの、夢中になって読んだよ。おまゆちゃんの書いたものって、その時の「楽しい!」「嬉しい!」「悲しい!」「切ない!」が、うそもかっこつけもなく、まっすぐにこころに届いてくるんだ。ほかのみんなが書いたものにわんわん泣いたり、笑ったり、うんうんうなずいたりもして。なんていうんだろう、毎日トランポリンに乗ってるみたいなひとだな、って思った。だからこっちも楽しくなって、悲しくなって、切なくなるんだよね。そんな色とりどりなおまゆちゃんに出会えたことが、ほんとに嬉しかったんだ。


そう思いながら、ちょっと嫌な予感がしてたんだよ。
この色どりの裏っかわに、なにか暗く重いものがあるんじゃないかって。
いや、そんなわけないよ。おまゆちゃんの明るさにそんなものあるわけないじゃん、って。

でもある日、あの記事を読んじゃったんだよね。
「あの頃の私を、切り落としてきた。」

後にも先にも、あんなに泣きながら読んだ記事ないんだ。ほんとうにショックだった。ああ、このひともだったのかって、うなだれた。どうしておれがnoteの街で出会うひとって、みんな過去やこころに辛く悲しいものを抱えたひとばっかりなんだろうって。神さまはなんでおまゆちゃんを「普通」に生きさせてくれなかったんだろうって。

ちょっとだけ、夫さんに話しかけてもいいかな?
夫さん、ほんとに辛かったよね。
おれ、わかるんだよ。たいせつなひとが苦しんでいる時にそばにいてあげることは、辛くはないけどすごく辛いってこと。おれもすぐ身近にそんなひとがいるから。
だからひとこと言わせてくれるかな。
大変だったね。でも、ほんとよく頑張ったね。おれが言うのもなんだけど言わせてほしい。ありがとう。


おまゆちゃんの住む街は、もう銀杏が落ちてるんだね。うちのとこはまだなんだよ。そうそう、車いすだと地面が近いからすごくにおうんだよ。たぶん息とめて車いすこがなきゃいけないな。でも、いい街だなあ。点字ブロックも多目的トイレもきれいなんだね。そういうところに目をとめてくれるようになってくれたなんて、嬉しいな。

でもそういうところがみえるように視界を広げなきゃいけないのは、健常者も障がい者もおなじなんだよね。おれは車いすだけど目が見える。だから目が見えないひとにとって、おれは健常者なんだ。耳だっておなじ。みんなそれぞれでこぼこなんだ。でもそのでこぼこを、パズルみたいに「繋ぎ」あわせたら、きっと世界はよくなるよね。おまゆちゃんがいつも言っている「綺麗事」が、ほんとうはいちばん大事だっておれや雪江に教えてくれたのは、おまゆちゃんなんだよ。

あー、なんだか書きたいことがいっぱいあってぐちゃぐちゃになっちゃった。もう疲れたよね。このへんでやめとくよ。
いつか、絶対絶対会おうね! そしたら車いすに乗って、どこまでも走ってくれよ。車いすの背中が見えなくなるくらいにさ。

ほんと、いつもありがとう! これからも雪江のこと、なかよくしてやってな!



おまゆさん、こんにちは。雪江です。

今、ゆきえは手紙を書き終え、疲れてぶたと一緒に寝てしまいました。うわ、すごいこと書いてますね、滅茶苦茶だ。本当にすみません。

でも、私が言いたいことは大体書いてくれたので、どうか私ともども許していただけますでしょうか。

手紙を読んでて、ある言葉を思い出しました。
「人というのは、一生かけてどうにか人ひとり救える程度の、そんな小さな存在なのだ」
誰の言葉か、いまだにわからないのですが、この言葉はずうっと私の胸に残っています。

私はこんな人間ですので、そうかもしれません。

でもおまゆさん。あなたは無意識にいろんな人を救っている。いろんな人を助けている。
その言葉と、その声と、その弾むような日々の綴りで。

おまゆさんに救われたのは、私ひとりじゃない。
そのほかにもきっと、おまゆさんに救われたひとはたくさんいるはずです。うなずいてくれるひとの名前が、私の頭のなかにいっぱい浮かんでいます。

ひとは確かにちっぽけだけど、ちっぽけだからこそ「繋ぎ」あって、救われる。そういう意味でひとは大きな存在かもしれない。

そのことを、おまゆさんに教わりました。


最後に。こんなことを言うといろんなひとに怒られそうですが、私は多分、そう長い人生を与えられてはいない。

この数年の体調の衰えは、自分でも想像を超えています。服薬や自己導尿など、多くの時間を「生きる」ために使わなきゃいけない。

でも、だからこそ、おまゆさんのトランポリンに乗せてもらえたら、くすんだ色が多い私の時間に色が添えられます。だからこれからも、おまゆさんの書くものを読み続けます。この街にいる限り、ずっと。


ほんとうに長くなりました。すみません。
改めてお礼を言わせてください。

ほんとうに、ありがとうございます。

これからも、よろしくお願いします。


篭田雪江 拝


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