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大切なひとを心配と思うのは、傲慢でしかないかもしれないけれど

久しぶりの酒は、あまりいい酔いをもたらさなかった。蒸し暑い夜。救急車のサイレンが遠くに響いている。最近は時間問わず、ひっきりなしだ。

前にどこかで書いたかもしれないが、「ひとは一生をかけても、ひとひとり救えるかどうかもわからない、それほどちいさな存在なのだ」といった意味合いの言葉を昔読んだことを書いた。

今日ほどそれを実感した日はなかったかもしれない。

大切なひとが今、とても苦しんでいる。その苦悩や恐怖は、私には到底はかりしれない。わかるなんて口が裂けても言えない。

それでも心配でしかたなく、回転の悪い脳をかきまわして、そのひとに声をかけた。どれだけの思いが伝わったかわからない。息をつめながら、必死にもがいた。


優しいそのひとは、ありがとう、とお礼を返してくれた。苦しいのは自分なのに。本当に優しいひとだ。

かえって気をつかわせてしまったような思いが拭えず、かなり久しぶりのアルコールに手をつけた。酔いとは不思議だ。精神の振り幅次第で、心地よくも吐瀉したくもなる。残念ながら今夜は後者だった。

心配になるのは、苦しみを分かち合いたいと願うのは、傲慢でしかないのだろうか。冒頭の言葉の主はそれを戒めるために語ったのだろうか。私のような愚者のための、ありがたい恫喝。聞き入れるべきだったのかもしれない。

でも。ひとがひとを思うことを、私はためらえない。以心伝心を信じられない。だから言葉にして伝えたい。それを傲慢と言われたら、もう自分などに価値はない。干からびた屍として死ぬまで生きるしかなくなってしまうから。

酔いが少しずつ抜けてきた。救急車のサイレンが遠ざかる。なまぬるい夜風。

明日からお盆休みがはじまる。私の嫌いなお盆だ。死イコール虚無と信じている私にとって、墓にただよう線香の煙も、寺に渡す布施も無駄としか思えない。そんなひまがあるなら、今苦しみのなかにいる大切なひとを想いたい。生きているひとこそを想いたい。

まだ夏の夜は静寂だ。ほどなく秋の虫が鳴き始めるかもしれない。でも、今年だけはもう少し待ってほしい。大切なひとが癒える時間が、少しでも増えるように。それだけを祈りつつ、わずかに残る酔いを頼りに、今夜は眠ることにする。





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